
公開日 2026年6月19日
出会い
武井 隆義
Takei Takayoshi
名古屋経済大学 市邨中学・高等学校 副校長
1984年 文学部英文学科卒
趣味・特技
ピアノ、声楽、 アコーディオン、 テナーサックス、柔道、 語学の勉強
好きな⾔葉
ともいき(共生)
学⽣時代のクラブ・サークル
体育会柔道部
柔道に 賭けた 3年間
私は愛知県にある6年一貫の東海中学・高等学校に入学と同時に柔道を始めました。当時東海高校は全国大会出場の常連で、私の6年間の目標はインターハイの団体戦のレギュラーとして、畳の上に立つことでした。6年間私なりに頑張った結果、レギュラーメンバーとしてインターハイに向かうも、試合前日メンバー変更で畳の上に立つことはできず、チームの戦績もベスト16に留まりました。私の中高での6年間で、この時が最も惨めな瞬間でした。インターハイから帰宅し両親の顔を見た時、6年間応援してくれた両親の前で号泣したことを、今も鮮明に覚えています。
中1から高3の8月まで勉強したことのない私は机の前で30分間座ることもできず、大いに困りました。当時私が通っていた高校は愛知でトップクラスの進学校で、同級生の多くは勉強もせず、柔道だけに打ち込んでいた私に違和感を持っていたと思います。ただ当時の私の考えは勉強ができるより、柔道が強い方が価値があるというものでした。そんな私だったのですが、一浪を経て甲南大学文学部になんとか入学することができました。甲南大学を受験した理由は、祖父が神戸に住んでいた事と、この大学なら1回生からレギュラーとして試合にも出られると思ったからでした。こうして将来英語の教師になることを目標に、平穏な大学生活が始まりました。しかし、私が2回生になるとき筑波大学大学院を出られた山崎俊輔先生が体育教師・柔道の指導者として赴任されたことで、事態が急変したのです。
その後の大学生活は地獄でした。月曜日から土曜日まで毎日の朝練、授業後の練習も4 時半から8 時まで行われ、私の柔道人生で一番練習した、あるいはさせられた時期でした。先生の指導は独特でした。朝練ではよく大学の校庭の松の木に向かって打ち込みをさせられました。またよく「あの校舎を投げるつもりで技をかけろ。」とも言われました。今思うと少し宗教じみた感があります。それでもとにかく、よく練習しました。「そこらの体育大学の学生よりお前たちは練習しているよ。」が先生の口癖でした。私たち柔道部の同期は会うといつでも、「社会に出てからは天国だった」と言って笑い合うほどです。甲南大学のようなおぼっちゃま大学のクラブ活動とは思えませんでしたが、それでも先生の練習にみんなついていったのは、厳しさの中に愛があったからだと思います。その甲斐あって4回生の時、兵庫県学生柔道大会で団体戦、個人戦共に優勝することができました。先生の指導がなければ結果は違っていたと思います。甲南大学柔道部は当時、今のように素質のある柔道選手はおらず、その闘い方はボロボロになりながら引き分け、最後はギリギリのところで相手に競り勝つという、厳しい練習に裏打ちされた「甲南柔道スタイル」でした。スマートさが一切無い、雑草柔道だったと思います。
1つの目標のため自分を犠牲にしながらもチーム一丸となって必死に戦った仲間は私の宝ですし、私たちが今の甲南大学柔道部の基礎を作ったと自負しています。
山崎先生が赴任してからの3年間の経験は、私のその後の人生に多大なる影響を与えてくれました。今も甲南大学で過ごした事を誇りに思います。
教員として
私は大学を卒業してすぐに、青年海外協力隊員としてガーナ共和国に柔道を指導しに行きました。大学4年間も懲りもせず柔道一辺倒の生活を送ってしまったので、当然英文学科で勉強していたものの、英語には自信がありませんでした。本当はアメリカに2・3年留学したかったのですが、これ以上親の脛をかじれないと思ったので、柔道を教えに英語圏に行こうと考えたのです。私の目標は英語の教員になる事でしたが、英語が話せない英語教師にだけはなりたくありませんでした。それで本来2年だった派遣期間を延長して3年間ガーナで柔道の指導を行い、英語も学びました。その後帰国し、運よく新設校の英語教師になることができました。
私が教師になる目的は、強い柔道部を作ることでした。創部3年で県のベスト8 になることができましたが、それからが長い道のりで、10年目に団体で全国大会初出場を果たしました。愛知県から2 校出場できる記念大会を、2 位で全国大会への切符を獲得したのですが、その試合のことは今でも鮮明に覚えています。さらに県のトップになるのには5年の月日を要し、中学から柔道を初めて30年経過した42歳の8月、団体戦の監督としてインターハイに出場することができました。結果はベスト8 で、国士舘高校に惨敗しましたが、私にはある種の達成感がありました。私が選手として出場できなかった高校3年生の時の結果ベスト16 を上回ったからでした。また、私が選手と一緒に会場を後にする時、私の高校3年生の時のインターハイで、試合の前日に私をメンバーから外した監督であり私の恩師でもある、当時愛知県柔道連盟会長の伊藤義博先生が拍手で迎えてくれました。その時の感動は今も忘れられません。私は本当に良い柔道指導者に恵まれたと思います。柔道の意味は勝つことだけではありません。負けから学ぶ事が本当に多いと思います。今還暦を過ぎ、実際柔道を教えていませんが、柔道の「精力善用・自他共栄」という精神で教育活動を行っています。
1つ、感慨深い思い出があります。私が以前、ガーナ共和国へ柔道の指導で派遣されていたことはお話ししましたが、2021年に開催された東京オリンピックで、そのときの教え子と再会することができました。ガーナ柔道連盟会長として来日されていたのです。38年前にガーナで3年間指導した教え子と東京オリンピックで再開できるなんて、夢のような話でした。
現在勤めている学校の建学の精神に「世界は我が市場ならずや」がありますが、甲南の後輩諸君も世界に向けて活動発信してほしいと思います。今の自分があるのは、私を支えて下さった多くの先生の存在があったからだと思います。甲南大学に行かなかったならば、何も達成できなかったと思います。 これからも私は、教え子の支えになれるよう、恩師の背中を見ながら甲南大学の卒業生として恥ずかしくないように努力していきたいと思います。
芸は身を助ける
ここまで、私の柔道の事を中心に書きました。ここまで読むと、大学卒業後青年海外協力隊、中学・高校教員とある意味順風満帆に生きてきたように思えるかもしれません。後輩たちには人生の反面教師になるかもしれませんが、その後の教員生活の事も書きます。42歳でインターハイの団体戦に出場して私の柔道に対するトラウマはなくなり達成感もあったのですが、一方で勝利至上主義の私の柔道には絶えず漠然とした違和感がありました。49歳の夏、その違和感はついに爆発し、22年間勤め築き上げた柔道部と勤務先の学校を8月31日付けで辞めてしまいました。今でも明確に辞めた理由は見つかりません。
ただ、辞めた事に対する後悔は今もありません。私が突然辞めた事を私の周りの方には理解されていない事もわかっています。しかし少なくとも妻だけは理解してくれました。私にはそれで十分でした。何かすることに理由が1つであることはありえません。こうして、私は50才の誕生日を失業者として迎えました。中学・高校の時の柔道の仲間に誕生日会をしてもらったのですが、何故かやけに晴れ晴れした気持ちだった事を覚えています。その後半年間は充電期間となりました。今まで留学もできなかったので、たった2 ヶ月間ですが、カナダに単身語学留学に行きました。12月の末に帰国すると中学・高校の恩師、当時岡崎の大樹寺の住職だった堀田岳丈先生から電話があり今の学校を紹介していただき、現在名古屋経済大学市邨中学・高等学校副校長として勤めています。私は、就職活動をした事がありません。みんなが就活で頑張っている大学4回生の時も就活はせず、海外指導者を目指し柔道に励んでいました。ガーナから帰国した時は、高校の柔道部の先輩で、バスケットボール部で有名な桜花学園高校の理事長をされていた、大谷和雄先生に大成高校を紹介していただきました。またその高校を辞めた後は中・高の恩師から今の学校を紹介いただきました。私の人生を振り返るとピンチが訪れるといつも救世主が現れる本当にラッキーな人生でした。
この幸運がどうして起きたか自分なりに考えてみました。私は中高以来柔道は強くありませんでしたが、人一倍柔道が好きで一番良く練習したと思っています。大学でも一番真摯に柔道に取り組んだと思っています。また教員になっても柔道部の顧問である前に英語教師ですから、他のどの英語教師より英語の勉強をしていると自負していますし、柔道を理由に授業を疎かにした事はありません。今も語学は毎日少なくとも2時間は勉強しています。さらに、趣味で声楽をやっているオペラの内容を原語で理解したいと思いイタリア語を学んでいますし、今年度のNHK ラジオドイツ語入門の講師の方が甲南大学野村幸宏先生だったことをきっかけにドイツ語も習い始めています。私は教員として生徒に教える以上、自らも学ぶ態度を忘れない事が大切であり、また自ら学ぶからこそ子供に教えることができると信じています。手前味噌ではありますが、こういう地道な努力をしていると自分から言わなくても見ている人は見ててくれているのだと思います。それが幸運を引き寄せた理由の1つだと思っています。私はもちろん天才ではありませんが、持続することができる天才になりたいと努力しています。神様が私たちに平等に与えてくれたことは、「1日は24時間であること」だけと思います。その時間をいかに有効に使うかが、成功の鍵だと思います。これからも自分に言い訳せず人生を楽しんでいこうと思います。

