甲南人の軌跡Ⅲ/大谷裕明/アメリカへの憧れから 30年の海外駐在生活へ | 卒業生の活躍紹介サイト | 甲南大学

アメリカへの憧れから 30年の海外駐在生活へ

大谷 裕明

Otani Hiroaki

YKK株式会社 代表取締役社長

1982年経済学部卒

趣味・特技

ネイチャー アクアリウム

好きな⾔葉

人財育成の観点から、 「やってみせ、言って聞 かせて、させてみせ、ほ めてやらねば、人は動 かじ」 「話し合い、耳を 傾け、承認し、任せてや らねば、人は育たず」 「やっている、姿を感謝 で見守って、信頼せね ば、人は実らず」

学⽣時代のクラブ・サークル

ESS

ロッキー山脈の美しさにひかれて

 私は高校時代に2 つ、夢を持っていました。1 つは、高校での部活仲間と一緒にサッカーを続けたいという夢で、もう1 つはアメリカに行く夢です。サッカーについては、メンバー全員が進学せず就職して続けようと考えましたが、紆余曲折あった末に諦めました。一方のアメリカ行きは、就職先をしっかり選べば可能性があります。アメリカに憧れた理由は、映画で見たロッキー山脈の大自然の圧倒的な美しさに魅力を感じたからです。

 となると進学ですが、スタートが遅れたので必死でがんばりました。その結果、自宅から通えて、評判も高かった甲南へなんとか入れたのです。入学後に選んだクラブは、将来を考えてEnglish Speaking Society すなわちESS です。当時は今と違って、英語を独習する方法がとても限られていました。町中に英会話教室などもあまりないため、高いカセットテープを買って、自分で学ぶぐらいしかありません。ともかく英語に触れる機会そのものが少なかったのです。

 ESS での同期には甲南高校の出身者がいて、彼と話してびっくりしました。お互いに自己紹介しようというやいなや、いきなり「Let me introducemyself」と切り出してきて、その発音がネイティブそのものでまったく聞き取れなかった。単語を書いてもらうと、なるほどと納得できるものの、これが本物の発音かと覚悟を改めたのです。

 経済学部では国際経済学を専攻に選ぶなど、卒業後は海外に出る気満々でした。なんとかして生の英語を学ぶ機会を増やすため、甲南と交流のあるイリノイ大学からの留学生とのディスカッションを企画しました。彼らは日本語を学びたくて、私たちは英語を学びたい。だからお互いの利害が一致するアイデアとして毎日1時間、30分交代で英語と日本語でテーマを決めて話し合うのです。これは時事英語を学ぶ、実践的な良い訓練になりました。

 2年生に上がった段階で、まわりから推されて部長になりました。当時は80人とそこそこの大所帯で、ディスカッション・スピーチ・ドラマ・ディベートの4 部門がありました。

 初体験だったのでとても興味深く、また学びになったのがディベートです。たとえば「原発の賛否」や「自衛隊増強の是非」などのテーマを与えられ、自分の意見とは関係なく、賛否どちらかに分けられて議論を戦わせます。勝負を決めるカギは、事前に集めた情報と組み立てたロジックの緻密さです。 ディベートで培われた、論理的に考えて語る能力は、後々の仕事でも役に立ちました。

 他にもESS でさまざまな経験を積ませてもらったおかげで、就職して海外駐在となったときにも、少なくとも語学についてはまったくひるまずに対応できました。そのESS が今ではなくなってしまったと聞き、とても残念な思いです。

憧れの摩天楼、ただニューヨークではなくアジアの不夜城へ

 就職についてその頃は、幸いにも完全な売り手市場でした。面接に行けば、どこも内定を出してくれるような状況です。そんな中でYKK に決めた理由は、海外進出に積極的だったのが一番で、さらに父親からも素晴らしい会社と聞いたからです。

 願い通りに入社3年目から、海外駐在となりました。赴任先は摩天楼の街、ただし「アジアの」が枕ことばにつく香港です。着いたときはちょうどクリスマスシーズンで、街中がイルミネーションで輝いていました。まさに不夜城といった趣です。

 ロッキー山脈とは違って、緑などまったくなく、街は喧騒に包まれ、熱い活気に満ちあふれています。当時の香港はアジア第一の国際都市でした。欧米人はもとより日本人だけでも3 万人以上が滞在していて、他にもアジア系のインド人やフィリピンから来ている人もいます。当時、YKK 香港社は日本人社員だけでも30 数名いて、家族も含めて100人を超える大所帯でした。

 それほど香港はYKK にとって重要な海外拠点だったのです。支店長からは「ビジネスのときだけは英語でいいが、事務所ではそれ以外の会話は広東語で話せ」といわれました。おかげで1年ほど経つと、広東語でも日常会話には不便しないレベルになりました。

 香港に19年滞在して、さまざまな仕事をさせてもらった後に、2003年に上海駐在となります。ここではアジア全域を統括するマーケティング部門で部長を任されました。その1年半後に深圳に移ります。これが2005年、45歳で事業会社の現地トップとなりました。ちょうど日中関係が悪化していた頃で、街中で反日デモが行われ、当社の工場の社員たちも参加しようとします。そのとき、社員を止めてくれたのが、中国人幹部でした。彼らが「デモに参加するのは君たちの自由だが、工場から出ていくのなら二度と戻ってくるな」と諭してくれたのです。

 YKK が創業以来ずっと守り続けてきた企業精神「善の巡環」、その成果をこのとき肌で感じました。その後、深圳の経営が躓いたときにも「善の巡環」に立ち返って考え建て直しに努めました。経営判断を行う際には必ず中国人幹部にも入ってもらい、計画を達成した際は現地従業員への還元を約束する。中国におけるYKK の存在価値を改めて提示し、その価値に共鳴してくれる社員を増やしていったのです。

 最初から海外で働き続ける覚悟を決めていました。だから香港に赴任して以来ずっと「海外事業会社で働き続けたい」と上司にいい続けてきました。しかしながら、2014年に副社長ファスニング事業本部長として日本に帰国しました。

 その3年後、当時会長だった現相談役より社長就任のお話をいただきました。驚きましたがお受けすると決めて「これからは態度を改め、早く日本の文化や風習に慣れるようにします」というと、「そんなことは考えなくていい、それを求めるなら、あなたを社長に任命していません」と返されました。それでなるほどと納得したのです。

自分のエッジを立てろ

 学生時代には、まず自分の得意・不得意を見極めるよう心がけてください。不得意を理解したら、可能な限り学生の間に学んで修正しておく。不得意分野の克服は、自分をブラッシュアップするうえでも大きな意味があります。そのうえで、得意をしっかり磨き上げておきましょう。これだけは誰にも負けない、それぐらい尖った得意技を持てば強力な武器になります。

 得意がはっきりしていれば、自己主張できるようになります。海外に出るとよくわかるのが、日本人の自己主張の下手さであり、その理由はまわりを気にし過ぎるからです。これに対して香港をはじめ海外の人は「いわないと誰もわかってくれない」ぐらいに思っているから、遠慮なく自己主張してきます。

 もう一点、入社式でも伝えているのが「とにかく失敗しろ」です。YKK のコアバリューの1つに「失敗しても成功せよ/信じて任せる」があります。とはいえ失敗し続けるのは論外です。特に同じ失敗を繰り返すのでは意味がありません。

 失敗したら、必ず学ぶ。その学びをテコにして、次はより高いレベルに挑戦する。そこでまた一度は失敗していいのです。ただし必ず何かを学んでステップアップする。この繰り返しです。

 成功する人間とは、失敗しない人間では決してありません。そもそも失敗もしない人は、チャレンジしようとしない人です。失敗の種類が多種多様なほど、自分の器が広がっていき、次に成功する可能性が高くなります。

  社会に出て思いっきり挑戦するためにも、学生の間に自分に欠けている点を直しておき、同時に得意を研ぎ澄ませておきましょう。

発行日:2023年3月30日

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