
公開日 2026年5月21日
縁やキッカケは必ず巡ってくる それを広げるのが自分の力
山口 信二
Yamaguchi Shinji
モロゾフ株式会社 代表取締役社長
1981年経済学部卒
趣味・特技
お酒に合う家庭料理とパスタ料理
好きな⾔葉
「絶対にできるという 強い信念を持て」
学⽣時代のクラブ・サークル
茶道同好会
体育会のノリが気に入った茶道同好会
甲南を教えてくれたのは、中学時代に担任だった数学の先生です。この先生の厳しさと面倒見の良い人柄から、出身校であった甲南大学に良い印象が芽生えました。中学や高校ではバレーボールに打ち込み、ポジションはセッター。身長が低く、大学では通用しないとわかっていたので何か別のことをやろうと思っていました。そんな中、入学後参加したオリエンテーリングでたまたま仲良くなったのが、元夢野台高校陸上部キャプテンだった同じ名字の山口一成君でした。彼に「お茶でも飲もう」と誘われて歩いていたとき、勧誘を受けたのが茶道同好会だったのです。
同好会とはいえ、学んでいるのは裏千家の本格的な茶道です。けれど部員の約半数が運動部で活躍した男性ということもあってノリは完全に体育会系で、自分にぴったりだと思いました。実は大学に入っても体を動かすのが大好きで、体育の授業では自分のクラス以外でも片っ端から出席して体を動かしていました。当時は、そんな学生も大目に見てくれていました。ファッションの基本は、IVYやヘビーデューティ。スリムなコットンパンツにボタンダウン、冬はカウチンセーターやダウンが流行っていました。それでも体育の授業があればすぐに参加できるよう、ジャージも持参していました。
一方、茶道の稽古は本格的でした。中でも年に1 度、千利休も修行した堺の南宗寺で、1 週間ほどの合宿が行われます。座って半畳、寝て一畳といわれるほどのスペースで薄い布団をあてがわれ、暖房もない禅堂に寝泊まりしました。春休みとはいえ、まだまだ底冷えのする時期です。寒い中、朝は6時に叩き起こされて座禅を組み、少しでもぐらつくと警策で肩をバシッと叩かれる。痛みより、気持ちがすっきりしたのを覚えています。掃除などの作務を終え、経を唱えて、一日中お茶を点てる。食事は一汁一菜。沢庵和尚直伝の漬物・沢庵もあって、非常に美味しい。ただし音を立てずに食べるのがルールです。こうしてひたすら禅とお茶で過ごした日々は、今でも貴重な体験として心に刻み込まれています。また大学祭のお茶会では、他大学の茶道部からも多くお客様が来られるので、練習をしてきたとはいえ、いつも手が震えるくらい緊張していました。
一方、経済学部の勉強はというと試験前1 カ月が勝負と決め、もう一度ノートと本を集中して読み込み、自分なりに考えをまとめて、しっかりと頭に叩き込む。おかげで、卒業時の成績は学部でも上位クラスに入っていたはずです。
誘われて「まあいいかな」と入社して
就職先については最初、損保業界を考えていました。実家が自動車の修理工場を営んでいて、損害保険も扱っていたからです。損害保険会社とは残念ながらご縁はありませんでしたが、他にも大学の掲示板で探した化学専門商社では内定をいただきました。そんな折、知り合いにチーズケーキが美味しくて急成長している会社があると、モロゾフを教えてもらいました。
そのモロゾフの面接で何度か会った他大学の人たちと仲良くなり、みんな優秀で良い人ばかり。一緒に入ろうと誘ってくれる。食べるのは好きだし、神戸が本社、面白い仲間もいる、何より美味しい。内定をいただいた会社にも訪問して辞退のお詫びを申し上げ、モロゾフに決めました。ただ茶道同好会のときもそうでしたが、就職のときも、今から振り返れば何かの縁に導かれていたように思います。
とはいえ入社後は、なかなかハードな日々となりました。いきなり商品企画に配属され、新商品の開発を任されたのです。わからないことばかりで、朝から夜まで必死でした。当時、職人気質の先輩たちばかりで、手取り足取り教えてくれたりすることなどは一切ありません。「見て覚えろ」が当たり前の世界です。
なんとか新商品の企画をまとめて工場に説明に行くと「こんなもんできるかい」と突き返される。「だめでした」と企画部に持って帰ると、今度は「もっかい行ってこい」と突っぱねられる。ほんと、どうしたらええねんという感じですが、実はこうした体育会系のノリが嫌いではありませんでした。
最初の間は、かなりしごかれましたが、この間に手がけた商品が形を変えながらも今も残っています。自分が担当した商品が、世の中に出たときの達成感は、何ものにも代えがたい。新商品が完成すると、まず部長に報告に行きます。そこで「ようやった」とねぎらいの言葉をかけられ、最後に社長に新商品を持っていくと、優しく「ご苦労さんでした」と。次も頑張ろうと強いモチベーションになりました。
2年目、その部長が栄転となり東京に旅立つときに「お前も来年は東京やで」といわれました。実際にその通りに転勤になり、当時日本一忙しかった渋谷の店で毎日クッキーを焼いていました。次に営業を数年間担当した後、当時の社長発案の新規事業開発室に異動し、毎日ブラブラしていました。2年ほど経つと、再び社長から「中華料理」をやるといきなりいわれ、香港へ食べ歩きに出かけました。当時としてはかなり斬新な中華とフランス料理を融合した「ヌーベルシノワ」の店を、神戸の百貨店に出店しました。なんとかオープンに漕ぎつけたものの、1年後の1995年、阪神・淡路大震災により閉店。それどころか御影にあった本社と主力の工場も倒壊し、会社存続の危機となってしまいました。
ちょうどこのとき、労働組合の委員長を任されていて、経営陣と団体交渉しながら復興計画を練り上げていきました。組合活動の中で、常に経営状態と社内の現場の情報が入ってきていたので、危機を乗り越えるべく全社挙げて復興に取り組みました。それでも復興までに5年以上かかりました。
その後、直属の上司で社長候補だった方が急逝され、取締役2年でいきなり社長を任されました。それからはひたすら「ブランド価値」、「企業価値」、「社会的価値」の向上に取り組みました。そして全社のベクトルを揃えるため企業理念を見直し、わかりやすく共有するために企業スローガン「こころつなぐ。笑顔かがやく」を制定しました。目の前の仕事は、すべてお客様に笑顔を届けるためにやっていると発信し続け、顧客満足を高める努力をしました。
社会人になってから今に至るまでを振り返って、ビジネスを展開してきた中で強く感じたのが、甲南ネットワークの強さとありがたさです。「実は甲南卒でして」と、このひと言でお互いに打ち解け合える帰属意識の強さ、これは何ものにも代えがたい財産となっています。
学生時代に身につけたい「絶対できる」思考
学生時代には、何か目標を決めて、それを達成するために頑張ってみましょう。就活時に面接をする側からのアドバイスを伝えるなら、アルバイトやサークルでの経験は、少なくとも私にはあまり響きません。私が面接の際に注意してみているのは、その人の物事の見方や会話する際の頭の回転の速さです。
いずれも人の本質に関わる資質だと思います。しかも自分が持って生まれた資質の芽を、自分で方向性を決めて培っていかないと育ちません。逆に自分なりのものの見方と考え方がしっかりできていれば、どんなテーマを与えられても、自分なりの考えをまとめられるし、相手の意向も踏まえながら話ができるようにもなります。
もう1つ、ぜひ意識してほしいのが、何か課題を与えられたときには「どうすればできるか」だけを考える姿勢です。それがどんなテーマであれ、まず「自分なら絶対できる」と強い信念を持つのです。できない理由を考えて逃げるのではなく、どうしたらできるのかと突破口を探す。そして壁を突破するためには、強い情熱も欠かせません。
これら一連のトレーニングに思う存分励むことのできる環境が、甲南には備えられています。何か目標を定めて、それを達成するために動く。一足飛びにやってやろうなどと考えず、一歩ずつ確実に階段を上がっていけばよいのです。そうして着実に進んでいける人が、最終的に何かを形にできる人です。
そしてもう1つ、甲南ならではの良さがあります。強い心を持った人が動くと、その考えや動きに賛同して助けてくれる人が、周りに必ず出てきます。甲南ならでは人脈も、ぜひ活かして、皆さんも自分の夢を叶えてください。
発行日:2023年3月30日

