
公開日 2026年5月21日
寺では学べない世界 世間を教えてくれた4 年間
筒井寛昭
Tsutsui Kansho
東大寺
長老・東大寺
二月堂院主
1968 年 文学部社会学科卒
趣味・特技
読書、書道
好きな⾔葉
「和而不同」孔子の言葉 (和して同ぜず) 〈人と協調することは 大切ではあるが、自分 の信念を曲げてまで同 調することはない〉
学⽣時代のクラブ・サークル
古美術研究会
古美術を通じて導かれた日本についての知識
「お前は、どこの大学に行くつもりなんや」
たしか高3 の1 月ごろだったと思います。薬師寺の管主を務められていた高田好胤さんに聞かれました。京都の大学の史学科に行くつもりと答えると「そんなんあかん、甲南の古美研(古美術研究会)に行きなさい」といわれました。
9 歳で東大寺に入寺して以来、ずっと寺の中で育った私に対して、高田管主は外の世界を知る必要性を説き、甲南の良さを諭してくださったのです。今から60 年ほども前の話ですが、その頃は古美研のように大学選びの決め手となるほど魅力的なクラブがありました。
実際に古美研は素晴らしいサークルで、全体で140 人もの大所帯でした。私も教室で過ごすより、部室にいる時間の方が長かったように思います。何しろ月曜から木曜まで毎日昼休みに自主講義があり、日本の庭園、絵画、彫刻、建築について1 時間、上級生がみっちりと教えてくれます。おかげで夏休みが終わる頃には、日本の古美術や文化についての知識が一通り頭に入っていました。
他にも2 週間に1 回のペースで、見学会があります。訪れた寺社仏閣について、説明してくれるのは3 年生です。つまり、自分が3 年生になったときには、後輩たちの指導役を務めなければなりません。そう思って先輩の話を聞いていると、さまざまな知識が自然に頭の中で紐づけられ繋がっていくのを実感しました。
たとえば宇治の平等院といえば阿弥陀像が有名ですが、その頃には阿弥陀像がたくさん作られていました。なぜだろうかと考えると、当時は末法思想が流行っていたからだと教えられました。また、法隆寺に行って柱を見たときに「これはギリシア風だ」といわれると、いったいどうやってギリシアの様式が日本に伝わったのかと興味をひかれます。すると同じように不思議に思った学生同士で議論が始まる。友だち同士で話していると、学業とはまた違った知的な興奮を感じます。こうしてサークル活動独特の学びを得られました。
上級生になると、今度は自分が説明する立場に回ります。相手にわかりやすく話すためには、流れをどう組み立てればよいかと考えなければなりません。こうした培った話し方のノウハウなどは、授業では学べない貴重な知恵です。古美研で身につけることのできた人に何かを教え伝える技術は、大学を出たばかりの私をしっかりと支えてくれました。またサークルを運営していくためのさまざまの実務経験なども、大学を出て東大寺に戻ったときにすぐに役立ちました。
東大寺を守っていくために必要な知恵と知識
卒業後は今に至るまで、東大寺一筋の人生を歩んでいます。最初に担当したのが、既になくなりましたが東大寺の運営する定時制高校での社会の授業でした。東大寺の境内の中にある学校ながら、社会の授業でも仏教については何一つ教えないのがユニークなところです。教えるのではなく、生徒たちが「仏教の教え」を自然に感じるように導く。宗教とは、無理やり教え込むものではなく、必要を感じたときに自ら学ぶものだと、そんな考え方が背景にありました。だから社会の授業でも、特に東大寺について詳しく説明するような教え方はしませんでした。
他には大仏殿の中でのお勤めはもちろんのこと、肢体不自由児を受け入れる施設・東大寺整枝園での仕事や、図書館の購入書籍を考えるような仕事もあります。東大寺は単立寺院であり、他に系列の寺は1 つもありません。ですからひたすら東大寺の中での仕事に携わっていました。
1988 年に「なら・シルクロード博覧会」が開催されたときには、一気に忙しくなりました。当時は職員総数70 人ぐらいでしたが、この人数で博覧会に対応しようとすると、人手が足りないため、どうしても残業時間が長くなってしまうのです。役所からの指導を受けて職員を増やし、新しく入ってきた職員に対応するため、企業での人事や労務のような仕事を引き受けました。
私たち東大寺の人間にとっては、お寺を守っていくのが唯一にして何より大切な仕事です。そのためには何でもやらなければなりません。ただ東大寺には檀家が存在しないので、たまに信者さんなどに話をすることはありましたが、人々にお話をする機会などはあまりありませんでした。信者さん以外では、寺を維持するための交渉をする文化庁や県や市の方々とお話をすることがありました。大仏殿を修理するには、文化庁にお願いして予算を回してもらわなければならないからです。庶務の仕事にはそうした交渉事も含まれています。他に財務、営繕、教学と各部門の仕事を一通り経験しました。財務を担当していたときには消費税が導入され、課税・免税のことについて勉強もしました。
最も仕事の多いのが執事長です。この役職は企業ならCEO のような存在であり、東大寺では3 年交代で務める決まりとなっています。執事長はたとえば、修学旅行生たちにいかに東大寺に来てもらうかといった勧誘策も考えます。こうして振り返ってみると、お寺の仕事では会社勤めよりもよほど幅広い学びが求められたように思います。
東大寺といえば、すごく大きな寺と思われがちですが、企業レベルでたとえるなら中小企業の中ぐらいでしょう。檀家や末寺をたくさん持っている京都のお寺などと比べれば、経済的にゆとりがあるわけでもありません。それでもなんとかして奈良時代から続く寺を守り伝えていかなければならない。そう思って無我夢中で務めてきて、今に至るような感じです。
ものごとは見る位置によって見え方が変わる
学生のみなさんには、まず心に余裕を持って学生生活を楽しんでいただければと思います。そのうえで、自分の行いがどういう意味を持っているのかを、常に自分で振り返る習慣を身につけてください。
その際に大切なのが、自分の視点に関する自覚です。たとえば今、とても不幸な出来事ですが、ヨーロッパの一部で戦争が起こっています。侵略した側は、自分流の正義を主張して行動しているのです。もちろん侵略される側にも自国を守る正義が存在します。つまり立場が変われば「正義」の見方が変わってくるのです。
ものごとは、どこから見るかで見え方が違ってきます。とても簡単な例ですが、円錐(えんすい)を思い浮かべてください。この円錐を真横から見れば、三角に見えます。一方で、上から見れば円にしか見えないでしょう。どちらも同じ円錐を見ているにもかかわらず、見る位置が違うと見え方がまったく異なるのです。だから「これは三角だ」「いや絶対に円だ」とお互いが譲らなければ、本来の姿である円錐は見えてきません。
意見の違いが明らかになったときに大切なのが、話し合いです。お互いが相手を理解する気持ちで話し合えば、最終的には「これは円錐だ」と双方が納得できます。
人が生きていくうえでは、理論的に説明できないような出来事に出くわすこともあります。そんなときにはまず「なんで?」と疑問を持ってください。そのうえで人から聞いた説明をそのまま受け入れるのではなく、違った視点から見ればどうなるだろうかと自分で考えてみる。
疑問を大切にしながら、視点を変えて考える癖をつける。相手の意見に耳を傾けながら、お互いの違いを意識する。そのために必要なのが「心のゆとり」です。
ものごとに対する視点を広げるためには、いろいろな人から知識を得る訓練も大切です。さらに学業だけでなく、人との雑談も視野を広げる機会として大切にしてください。
その意味で甲南には、いろいろなバックグラウンドを持つ人が集まっているはずで、みんなの多様な視点に触れていると、自然に自分の視野が広がっていくでしょう。私も東大寺の中だけで過ごしていては、絶対に知り合えなかった人たちと甲南で出会えました。出会いに恵まれた大学に入ったメリッ
トを、ぜひ有効に活用してください。
発行日:2023年3月30日

