甲南人の軌跡Ⅲ/道満雅彦/順風満帆の半生から 波乱万丈の半生へ | 卒業生の活躍紹介サイト | 甲南大学

順風満帆の半生から 波乱万丈の半生へ

道満 雅彦

Doman Masahiko

オリバーソース 株式会社 代表取締役社長

1975年経営学部卒

趣味・特技

ヨットとサックス

好きな⾔葉

「マーケットインより プロダクトアウト」

学⽣時代のクラブ・サークル

クルージングクラブ

不在で済ませた卒業式と入学式

 今から半世紀以上も前の話だからだったのでしょうが、甲南高校では高3 の早い時期に甲南大学への推薦試験を受けられました。人気だった経営学部に入るには高得点が必要ながら、なんとか運良く合格。おかげで高校生のうちにどうしても叶えたかった夢を実現できたのです。
 1971 年の1 月、17 歳だった私は神戸からアメリカの貨客船「President Cleveland」号に乗り、15 日間かけてホノルル経由でサンフランシスコへと渡りました。それから7 カ月かけてアメリカ中を一人で旅したのです。この間にあった高校の卒業式はもちろん、大学の入学式にも出ていません。日本に戻ってきたのは、その年の8 月です。
 それでも大学の前期をなんとか休学せずに済んだのは、高校から大学まで一緒に進んだ仲間たちが大学での課題やレポートなどを教えてくれたおかげでした。もちろんインターネットなどない時代ですから、エアメールのやりとりです。おかげで前期の試験も無事にクリアできて、後期から普通に授業に参加するようになりました。
 アメリカでは一人旅を満喫しました。132 日間132 ドルでアメリカを周遊できるバスチケットがあったので、ひたすらアメリカ全土を駆け巡っていました。
 帰国後、部活をどうしようかと考えたとき、船が好きだったので同好会のクルージングクラブに入りました。体育会系ではなくクルーザーでヨットレースに挑戦するクラブで、同学年に15 人の仲間がいるほどの人気ぶりでした。ただ同好会の扱いなので、活動費は自分たちで調達しなければなりません。そのために始めたアルバイトが、もう一度海外に出る縁へとつながりました。

 芦屋の老舗レストランで、皿洗いとフロアスタッフをしているときに、たまたま知り合ったお客様が、イランにある日系の石油採掘会社で社長をされていたのです。いろいろお話ししているうちに再び「海外に出たい熱」が再発しました。

 経営学部ではマーケティングを学んでいて、ゼミの先生に話をすると「卒論を早めにきちんと書けば、卒業に必要な単位を認めてあげる」といってもらえ、3年生でクラブを辞めて学業に完全に集中しました。

 無事に卒論を書き終えるとスチューデントフライトでパリに飛び、そこからはオリエントエクスプレスで1 週間ほどかけてテヘランを目指します。中東の美しい古都では、旅に出たもう1つの目的だった、社長の娘さんとも再会できました。途中でジブラルタルからサハラに渡ったときには、たまたま日本赤軍がオランダで乱射事件を起こした直後で「日本人で学生、こいつは怪しい」と取り調べを受けたのも、今から思えば懐かしい経験です。

 ともかく甲南に入ったおかげで、2回も海外への単身旅行を堪能させてもらうなど、思い通りの学生生活を送ることができました。大学時代にお世話になった方々には、本当に感謝しかありません。

社長就任直後の急降下

 大学卒業後の就職先は、大手の食品メーカーに決まっていました。ところが入社する日に、実家の工場で思いもよらぬ出来事があり、父親から急遽呼び戻されたのです。いったんは外で修行を積ませて、いずれは跡を継がせる。父親としてはそんな思惑があったのでしょうが、そう悠長な話をしていられなくなったようでした。

 それから30歳になるまで、ずっと工場勤めで、ひたすら秘伝のソース作りに明け暮れる毎日でした。経営学や帝王学を学ぶ機会などまったくありません。とはいえそんな作業に集中するのが、実は大好きでした。細かいところをいろいろ工夫するのが楽しくて仕方がない。まわりからは、水を得た魚のようだといわれたりしていました。

 その後、大阪支店で営業を任されるようになります。当時の業績はまさに順風満帆で、予想以上に利益が出ていたので、お笑い芸人さんに出てもらったテレビコマーシャルをたくさん打っていました。

 社長を引き継いだのが1993年です。高校時代から思い通りの人生を歩ませてもらい、会社の経営にもまったく問題はない。ここまでは出来過ぎといえるほどの良い人生、それを一気にどん底に突き落としたのが、1995年1月17日の阪神淡路大震災です。

 工場が全焼し、特注製品のタンクを守ってくれていた社員が1人亡くなってしまいました。あまりの被害の凄まじさに、かえって諦めがついたのか、父親は廃業を覚悟したようです。震災直後にはお別れのつもりでしょうか、ニコニコ笑って集合写真に収まっていました。

 けれども社長になったばかりの私は諦めきれませんでした。社員が命をかけて残してくれた秘伝のソース製法技術を、なんとしても受け継いでいかねばならないと思ったのです。本社の土地と建物を行政に収用していただき、ポートアイランドに衛生に特化した工場とモダンな本社社屋を建築して移転しました。文章にすると一行で終わりますが、この間に巨額の借金をして工場などを建て直し、売上は激減、苦汁の日々とはこういう状況のことかと悟りました。

 ただ、再びソースを作れるようになりさえすれば、なんとかなる。それだけを信じていたのですが、実際はそんな甘いものではありませんでした。休業中にスーパーの発注システムが変わり、前月の売上を参照して自動発注されるEOS システムになっていたのです。つまり、震災以降ずっと売り場に並んでいなかったオリバーソースは発注の対象外で他社製品に取って代わられ、商品が並ばなくなったのです。

 事業再開から2002年までの5年間は売上が極端に落ち込んで借金がさらに膨らみ、震災後の2年半より悲惨な状態でした。とはいえ社員は一人も辞めさせられません。社長としての重圧と責任感に押しつぶされそうになり、体調を崩した時期もあります。

 それでも「捨てる神あれば拾う神あり」。やがて粉ものブームが到来し、国内外からの受注が急増した際には最新設備導入のおかげで対応することができ、業務用お好みソースの販売と輸出による収益の増加により盛り返すことができたのです。その後はインバウンド需要でさらに売上が跳ね上がっています。

学生時代のネットワークは一生の財産

 みなさんに何より伝えたいアドバイスは「隣をしっかり見ろ」です。たまたま何かの授業で横に座った相手、クラブやサークルで知り合った友だちの中に、面白い人やとんでもない人がきっといます。それが甲南の特長です。

 たとえばわけのわからないほどの富豪や、有名企業の社長の子女が普通にいたりする。規模はそれほど大きくなくとも、事業家の家庭に育った人も多いでしょう。もしかすると私たちの頃とは少し様子は変わっているのかもしれません。けれども、そんな人が潜んでいるのが、甲南の何よりのユニークなところです。

 また、まわりの友だちとの間で、同類感も強く感じるのではないでしょうか。ガリ勉タイプではなく、かといって勉強をサボる人たちでもなく、それでいて自分なりの個性をしっかり持っている人が多い。

 こんな人たちとのネットワークを在学中に築いておければ、一生の宝もの、無形の財産となります。そんなネットワークを広げるためにも、クラブやサークルに積極的に参加すべきです。もちろんゼミでの友だちも大切ですが、クラブで付き合った仲間は、一生の付き合いになるケースが多い。先輩後輩の関係がつながるのもクラブの良いところです。

 私自身も、卒業後50年経っているのに、未だにサークルの仲間とはLINEでつながっています。そんな人脈を育めるのが甲南の良いところです。みなさんも一生付き合える仲間と出会えるよう祈ります。

発行日:2023年3月30日

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