甲南人の軌跡Ⅱ/大倉 源次郎/能楽師の私を支えてくれた日本文化の源流の学び | 卒業生の活躍紹介サイト | 甲南大学

能楽師の私を支えてくれた
日本文化の源流の学び

大倉 源次郎

Okura Genjiro

能楽小鼓方大倉流
十六世宗家

1981年 文学部
国文学科卒

趣味・特技

乗馬

好きな⾔葉

感謝を忘れるな

学⽣時代のクラブ・サークル

自分だけじゃない。その心強さと安心感

 能楽は、650年以上の歴史を持つ舞台芸術です。観阿弥・世阿弥による作品を含めて3,000曲以上あり、それぞれに人間の営みが描かれ、作品からは主題の背景にある原因と結果を知ることができます。戦国の世に能が愛されたのは、そこに描かれる世界への憧れがあったとともに、能が、苦しい人生を乗り越えるためのツールの役割を果たしたからではないかと思います。現在も私たちは、能から未来を正しく選ぶための知恵を学ぶことができます。

 能楽では笛、小鼓、大鼓、太鼓の4種類の楽器が使われますが、これら能楽囃子は単に伴奏の役目を果たすのではなく、演奏自体が楽劇の一部となります。私は能楽囃子方の家に生まれ、7歳で初めて舞台で鼓を打ちました。その後、甲南中学・高等学校に進学して能楽と学業の二足のわらじをはき、甲南大学の文学部へと進みました。

 学生時代は毎週のように舞台の予定があり、それに向けた稽古も続いたため、大学のすべての授業に出席することは叶いませんでした。しかし卒業から40年経った今も、心に残る授業が数々あります。例えば、美学の授業で先生がおっしゃった「人類の永遠のテーマは、自然美と人工美の対決です」という言葉は、今も私の心を打ちます。

 歌人でもあった安田章生(やすだ・あやお)教授のことは忘れられません。中世文学の高名な研究者だった先生ですが、常に学生に対して「きみはどう思うか」と問いかけてくださり、私たちが質問をすると授業を止めて一緒に考えてくださいました。根源的なテーマにまっすぐ向き合う先生の姿を見て、授業はかくあるべきと教わりました。先生であってもこれほど思索されるのかと。安田先生の学びの姿勢は、今も私のお手本と言えます。

 卒業論文では『古事記』に取り組みました。神と人間の世界が描かれた秘書を学ばせていただいたことは、日本文化の源流を知る貴重な経験となり、能楽師としての私を長く支えてくれています。甲南で文学部に入らなければ、生涯『古事記』を原典講読するチャンスはなかったのではないかと思うと、一期一会のご縁を感じます。

 こうして学問を追究して卒業論文にも取り組み、能楽師として修行ができたのは、熱心に指導をしてくださった先生方と私の勉強をさり気なくサポートしてくれた友人たちのおかげです。また、周囲には音楽を愛して止まない仲間など、勉強以外に好きなことに打ち込む人もいて、私は「自分だけじゃない」という安心感を持つことができました。学生のひたむきさを応援してくれる、甲南のおおらかな学風が私の大学生活を支えてくれました。

能のすばらしさと知恵を後世へ伝える

 1985年、28歳のときに大倉流小鼓方十六世宗家を継承し、能の鼓方として日本各地の能楽堂の舞台に立ってきました。能の魅力を1人でも多くの方にお伝えしたいと、国内のみならず海外でも20か国以上で公演を経験させていただきました。また「能を通じて過去に学び、未来を想像する力を養ってほしい」と、子ども向けの能楽体験講座も各地で開催しています。2017年には、能楽の世界ではまだまだ若手の私を重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定いただき、「能のすばらしさ」や「能の知恵」を後世に伝えていく使命を深く胸に刻んでいるところです。

 ここで、みなさんに「能のすばらしさ」の一例をご紹介したいと思います。それはリアリズム(現実性)ではなく、リアリティ(迫真性)を求める希有な舞台芸術だということです。

 例えば、映画やミュージカルで知られている『美女と野獣』という作品がありますが、リアリズムに基づけば、美女役・野獣役はそれぞれに合ったキャスティングをし、両者が入れ替わることはありません。しかし能は、能面と能装束という装置を使うことによって、両者が入れ替わることが可能です。私が10歳の少女の役を演じたいと思ったときに装置に入ることで、なりきるのではなく、「なりいる」ことができます。魂を役に入れることができるのが能の面白さであり、すばらしさです。

 装置が体と心をつなぎ、能という舞台芸術を作ってきた日本文化の哲学。それを若いころから知っていれば、海外に出て豪奢なオペラハウスを見ても、その美しさに打ちのめされることはないでしょう。能について、諸外国のみなさんにその国の言葉で紹介できる、真の国際人の育成につながるのではないかと思います。

 「能の知恵」についても、ご紹介しておきたいと思います。能楽の初心者が習う能に「鞍馬天狗」があります。かたや、最も難しい最奥の秘曲と言われるのが「関寺小町」です。織姫と彦星が出会う七夕の祭りの日に、老婆となった小野小町が子どもに和歌の面白さを伝え、一緒に和歌を詠むという能です。人間の営みにおいて最も大事なのは、子どもに伝えること、すなわち教育である。世阿弥が一番伝えたかったことであり、私たちが後世に伝えていくべき能の知恵だと思っています。

 この知恵を永く未来へと継承するために、私自身が修行を重ねると同時に、後進の人たちが誇りをもって修行を続けられるよう、能楽界の環境整備に力を注いでいるところです。

「はたをらくにする」ために何ができるか

 自分が存在しているということは、「はた(周囲)を、らく(楽)にすること」すなわち「はたらく」ことだと思います。ぜひ学生時代に「はたをらくにする」ために自分には何ができるかを考え、それを見つけてほしいと思います。

 努力を重ねて記録を出してみんなに喜んでもらう、そんなスポーツ選手がいれば、私のように鼓を打ってみなさんに楽しんでいただくこともできます。勉強が得意な人であれば、自分の知識で技術革新をし、社会に貢献することも可能でしょう。

 はたをらくにしようと、各々が仕事をすることにより、みんなが過不足なく生活できる。社会の役に立つという目的、自分の存在意義を見つけることができれば、それが道標となって人生に迷うことはないと思います。

 もしお金を稼ぐためという即物的な目的だけを持ってしまうと、それが叶わなくなったときに自分の存在意義を失います。何のために働き、なぜ自分は生きているのか。悩みは深まるばかりです。搾取することを目的にすれば、はたの人々を泣かせることになります。

 まわりの人の笑顔を見るために自分が働く。基本的なことですが、いま最も求められていることだと思います。そして人の笑顔は、自分の人生を豊かにしてくれます。

 もう1つ心に留めていただきたいのが、日本文化の柱である「和歌」、すなわち言葉を大切にするということです。私が甲南で学んだ『古事記』には、スサノオノミコトが詠んだ最古の和歌が記されています。そして神話の時代から詠まれてきた和歌をまとめたのが『万葉集』であり、庶民から天皇までさまざまな身分の人による4500首ほどが収められています。8世紀にこんなことを成し遂げた国は、ほかにありません。以来、『古今和歌集』『新古今和歌集』に継承され、今も宮中で行われている「歌会始」につながっており、私たちは言葉を大切にしてきた国に生きていることがよくわかります。

 和歌文学がまず生まれ、それを絵解きし舞台芸術にしたのが能楽であり、歌舞伎や文楽です。また、和歌が生活文化に入っていくと茶道や華道になるなど、多くの文化の根っこをさぐっていくと和歌につきあたり、日本文化の柱は和歌ではないかと私は考えています。

 急に和歌を詠むのは難しいでしょう。しかし、和歌を詠むように、日々よい言葉を探して使うことは、誰でもできることだと思います。言葉を大切にすることは、心を磨くこと、よりよく生きることです。私自身もそうであったように、甲南で言葉と心を磨いてください。甲南はそれができる学びの場だと思います。


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