甲南人の軌跡Ⅰ/岡田 理沙/夢に向かって無我夢中だった大学生活 | 卒業生の活躍紹介サイト | 甲南大学

夢に向かって無我夢中だった大学生活

岡田 理沙

Okada Risa

九州朝日放送株式会社
アナウンサー

2017年 文学部社会学科卒

趣味・特技

蔦屋書店でひたすら読書 / 仕事の後、社会人サークルでスポーツをすること

好きな⾔葉

全ての道はローマに通ず

学⽣時代のクラブ・サークル

ひがしなだ コミュニティメディア

学生生活は、とにかくメディア尽くし!

 学生時代はサークル活動や部活動はせず、アルバイトとボランティア活動をしていました。ボランティアに関しては、東灘区の住民や大学の有志によってつくられた「ひがしなだコミュニティメディア」に参加していました。高校生のころからメディアの仕事に興味があり、大学でもメディアにかかわる何かをしたいと思っていたからです。そこではインターネット放送の「MEDIAROCCO」という番組づくりにかかわりました。主にキャスターとして出演させていただきましたが、毎回台本がほとんどなく、最初は驚きましたが次第に慣れました。そのおかげ(?)もあってか、今は周りの人から「岡田さんって動じないよね」といっていただくことが多いです(笑)

 そうした活動のなかでもとくに印象に残っているのは、男性キャスターと2人で、町の古墳・歴史めぐりをした回です。スタート地点からゴール地点まで距離があり、道中でも紹介ポイントがあるので、「1時間の放送内で、どこも削らずゴールまで行けるのか!?」と不安でいっぱいでした…。ハプニングも多々ありましたが、なんとか無事にゴールできたときには、達成感を得ることができました。今思えば、あんなにも1時間を長いと思ったことはありません。

 私は文学部社会学科に属していましたが、授業でもなるべくメディアにかかわるものを選ぶようにしていました。単位が取りにくいとか、授業が面倒くさいといった噂を聞いても、そんなことは気にせず、自分が学びたいと思ったものは選ぶようにしていました。とくに、座学ではなく、フィールドワークが組み込まれた授業は楽しかったです。周りには面倒くさいという子も多かったですが、私は「楽しいし単位もとれるし、一石二鳥だなぁ!」と思っていました。今になって思うと、授業に関していえば、座学が多い1・2年生よりも、少し内容が濃くなる3・4年生の方が楽しかったです。「面倒くさい」って、案外面白いものです。

「しゃべる」とは「そばにいる」こと

 いつからメディアの仕事に興味を持ったのか明確には覚えていませんが、少なくとも、高校1年生のときにつくった文集には「敏腕プロデューサーになる!」と書いていました。高校生のときに放送部に属していて、テレビドキュメンタリーやテレビドラマづくりに打ち込んでいたので、将来も絶対その道に進もうと思っていました。ところが、高校を卒業するとき、担任の先生にいわれた驚きの一言が、「出る側を目指してみたら?」でした。それまでアナウンサーなんて考えたこともありませんでしたが、よくよく考えてみると、確かに「いい声だね」といわれたことは何度かあるなぁとそのとき思いました。その一言がきっかけで、将来の進路としてアナウンサーも視野に入れるようになりました。

 大学進学後は授業でメディアのことを学びながら、アルバイトで貯めたお金でマスコミスクールにも通いました。そして、「絶対テレビ局に入る!」という強い意志を持って就職活動に臨み、現在はテレビ朝日系列の九州朝日放送で敏腕プロデューサー!…ではなく、アナウンサーをしています。まさか、自分が本当にアナウンサーになるなんて思ってもいなかったので、当の私が一番驚きました。誰かの一言で人生が変わることって、あるんですね。

 さて、仕事の内容ですが、テレビ番組でおいしいスイーツ情報を届けることもあれば、大雨のなかヘルメットをかぶって台風中継をすることもありますし、ラジオ番組でテレビでは話せないような、「ぶっちゃけトーク」をすることもあります。仕事内容は本当に多岐にわたります。とにかく、飽きがこないです。入社2年目ですが、まだまだ慣れません…。仕事をしていて大変だなと思うことは、「常に相手の気持ちに寄り添う」というところ。文字にすると簡単に見えますが、これが意外にも難しいのです。自分ではそのつもりでも、映像にしてでき上がったVTRを見てみると、自分の伝えたかったことが伝わってこないことがあります。この世界は、見えるもの・映ったものがすべて。「自分はそんなつもりじゃなかった」は通用しません。

 以前、先輩アナウンサーが災害で床上浸水の被害を受けた家に取材に行ったとき、「家のなかは下水の匂いがします」とリポートしていました。「なぜ、臭い、といわなかったのか?」とディレクターたちから尋ねられると「大変な思いをしている人に、無理をいってお家に上がらせてもらった。人に見られたくないと思うようなところも撮らせてもらった。それを思うと、「臭い」というワードは出てこなかった」と話していました。リポートという点でいえば、臭いというダイレクトなワードを使った方が、悲惨さが視聴者に伝わるかもしれません。しかし、もっとも大事なのは、そもそも人間としてどうあるべきか、ということです。私も、辛い思いを抱える人に少しでも寄り添える人間になりたいと思いました。

あなたは、なぜそこにいますか?

 大学生のときに私が意識していたのは、「目標を明確にする」ということです。正直に話すと、大学に入学したとき、私は「飲み友だちいっぱいの今っぽい大学生」に憧れていました。「友だちが入るっていったから」同じサークルに入り、「この授業ラクだよって先輩がいったから」その授業をとり…。そんな日々を送っていたある日、飲食店のアルバイトの給料明細を見てびっくりしました。毎日、授業の後、閉店まで働いているのに、たったの7万円。「お金を稼ぐって、こんなに大変なの!?」と思いました。そのときふと脳裏をよぎったのが、大学の学費でした。私立大学の学費は、少なく見積もっても4年間で400万円はかかるはずです。決して少なくない、いや、多すぎる出費です。「私の毎月の給料が7万だから、まったく使わないとしても…400万貯めるのに5年もかかるんだ…」。お金を稼ぐということがどれだけ大変で、大学に行かせてもらえることがどれだけありがたいことなのか痛感しました。そのことに気づいてから、「テキトーに過ごしている場合じゃない!」と自分を奮い立たせ、すぐさま、自分の将来について真剣に考えました。「テレビ局に入りたい。アナウンサーでも総合職でも、とにかくテレビ局で働きたい!」と。

 私の場合、夢自体はハッキリしていたことが幸いでした。目標を再確認したら、どうすればよいのかは自然とわかってきます。なんとなく入っていたサークルは辞めました。OB訪問などで、テレビ局の就活はお金がかかるということも知り、バイトを増やしました。「簡単に単位がもらえるらしいから、この授業をとろうよ」といわれても、「私はあっちの授業でこういうことをやりたいの。ごめんね」と、「自分がどうしたいか」を軸に物ごとを取捨選択できるようになりました。また、自分の意思を人に伝えることができるようになりました。そうすると、不思議なことに運が寄ってきます。たとえば、倍率十数倍といわれる授業に当選したり、ちょうどサークルを辞めたときにボランティアの番組づくりに誘ってもらえたり…夢を言葉にすることで、「馬鹿にされたりしないかな」と思っていましたが、そんなことは杞憂に終わりました。心が変われば行動が変わる、行動が変われば運命が変わる…。どこかで聞いたことがあるような言葉ですが、あれは本当なのかもしれません。

 後輩へのメッセージといっても、私もまだ社会人としての経験が浅いので、偉そうなことはいえませんが、「自分はなぜここにいるのか?」「自分はどうなりたいのか?」ということと向き合えば、おのずと道は拓けるものだと思います。みなさんのこれからの未来が、より一層輝くものになりますように…!

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