甲南人の軌跡Ⅰ/立野 純三/学生時代に身につけたチャレンジする習慣が成功への道を拓いてくれた。 | 卒業生の活躍紹介サイト | 甲南大学

学生時代に身につけたチャレンジする
習慣が成功への道を拓いてくれた。

立野 純三

Tateno Junzo

株式会社ユニオン
代表取締役社長

1970年 法学部卒

趣味・特技

ゴルフ・ドライブ

好きな⾔葉

各自の運命は 各自の手中にあり

学⽣時代のクラブ・サークル

恩師の言葉
「学生らしくせよ」に導かれて

 大学の雰囲気が大好きでした。とくに正門を入り、趣のある本館へと続く緩やかなスロープのあたりに、何ともいえない心地よい佇まいを感じたものです。とはいえ、実際にはあまり熱心に通学せず、あの坂道もたまにしか歩かなかったために、しみじみと「ええ大学や」などと感じていたのかもしれませんが。

 というのも、在学中私がもっとも熱心に取り組んだのが、学外チームでの野球だったからです。高校時代はラグビー部に所属していたので大学でもと思ったのですが、なぜか準硬式野球をやることになりました。入ったのは住んでいた北摂地区のクラブチーム。メンバーには阪神間のいろいろな大学生が集まり、私は体格がよかったからか、キャッチャーを任されました。クラブチームとはいえ、最近のサークルよりよほどスパルタで、練習は週に2~3回、コーチがついて1回あたり2時間ほどみっちりしごかれます。夏は合宿に行くなど、体育会顔負けのハードな練習漬けの日々を過ごしたおかげで、体力には人並み以上の自信がつきました。

 授業で印象に残っているのは、全学部対象のコンピュータ講習と専門のゼミです。当時のコンピュータは、今のパソコンとはまったく異なり、「オフコン」と呼ばれる、機械だけで、まるまる一部屋分あるような巨大な装置でした。それにパンチカードに打ち込んだプログラムを差し込んで動かします。この時代にいち早くオフコンを導入し、授業まで行っていた私立大学は、日本では甲南大学だけと聞いた記憶があります。テキストも英語がメインで、翻訳がようやくでき上がったような状態でした。

 私は法学部でしたから、コンピュータはまったく関係ありません。けれども、最新鋭の知的な道具に挑戦してみたかったのです。自分なりに考えてプログラムを組み上げたときの喜びは、大学時代の学びで最高の思い出です。専門ゼミでは「独占禁止法」について研究していました。といっても、自慢できるほど熱心に勉強したわけではありません。記憶に残っているのは、ゼミ旅行などで友だちと楽しく過ごしたことです。

 今、こうして大学時代の4年間を振り返ってみると、スポーツ、遊び、新しい学問、それに友だちづくりなどに思う存分のめり込みました。ともかく、恩師・笹井先生の言葉「学生らしくせよ」を、自分なりに解釈し、存分に謳歌しました。ただ、1つだけ悔いが残るのは、勉強に熱心でなかったことです。

気負わず、
自然体でチャレンジした海外開拓

 大学卒業後は、建設会社で修行することになりました。いずれはユニオンで働くけれども、その前に「外の世界を見てこい」というわけです。東京で1ヵ月の研修を受けた後、大阪に戻って現場の経理を担当しました。貸方、借方の簿記をつけるのですが、法学部出身の私には最初はちんぷんかんぷんで、しかも任された現場は3つもありました。当時パソコンはいうまでもなく、電子計算機もまだなかった時代です。そろばんをパチパチと打って計算するものの、帳面の数字と実際の金額がなかなか合わない…。そんな毎日でしたが、気楽な立場だったからでしょう、楽しかった思い出しかありません。

 そして、3年後にユニオンに入り、最初は資材部を任されました。当社は、当時からすでにドアハンドルでは8割のシェアを持つ、ニッチだけれどもエッジの効いた企業でした。製造業なので、資材部の仕入れが業績に直結します。私に与えられた課題は、回転率を上げることと、無駄な在庫を減らすこと。仕入業務などまったく経験のなかった人間には、なかなか難しい業務でした。

 その次に、海外市場の開拓を命じられました。まだ国内にしか販路がなかった時代で、国外はゼロからのスタートです。私は、まず、アメリカに向かいました。当社製品が、当時最先端だったアメリカ市場でどのように評価されるのか…。つたない英語ながら、一所懸命売り込みました。その結果、製品は意外に高く評価してもらえましたが、頑として買ってくれない。“Wonderful ,but too expensive”だというわけです。それで、今度はアジアに矛先を変えました。台湾には付き合いのあった建設会社のルートがあり、シンガポールでは代理店がちょっとしたコネを持っていました。おかげで2~3年後には、台湾だけで年間1億円ぐらいの売上にまで持っていけたのです。

 海外旅行そのものがまだ珍しかった時代ですが、1人でうろうろしていました。それでもあまり緊張せずに済んだのは、何ごともあれこれ悩んでいるより、まず動いてみる習慣が学生時代についていたからでしょう。

 周囲の人間は私が「いずれ社長になる」と見ていたようですが、自分ではそんな意識はありませんでした。ただ、私が手がけた「クロセットドア」がヒット商品になったとき、ようやく先代に認めてもらえた気がしました。42歳になり、ちょうどバブルが崩壊した時点で社長を引き継ぎました。その際も事業に関しては、先代から何もいわれませんでした。ただ、これだけは守るようにといわれたのが、次の3つです。

「約束したことは何としても守れ」「お客様には頭を下げろ」「友だちから借金を頼まれたら、貸さずにあげろ」。

いったん社長を引き継いでからも、先代から口出しは一切なく、何ごとも自分で考えて決めてきました。そんななかで1つ、自分なりにコツを掴んだのが、新製品開発のやり方です。社長が先頭に立って開発した製品は売れないのです。逆に社員に任せたものは売れる。社員の立場から考えればあたり前の話で、社長が勝手に決めてきた製品には思い入れを持てないけれど、自分たちで決めた製品なら、責任を持って売ろうとする。営業の熱の入れ方が変わるのです。

 経営者として過ごすなかで、座右の銘となったのが「各自の運命は各自の手中にあり」です。何ごとも自分が努力すれば、それなりの成果は得られる。逆にいえば、思うようにいかないのは努力が足りないのです。

学生時代には
何か1つでよいから突き抜けてほしい

 後輩へのメッセージは、「まずは、しっかり勉強してください」です。最近はネットばかり見ている人が増えているようですが、新聞や本など、活字をしっかり読み込む習慣を身につけておきましょう。長い人生のなかでじっくり本を読めるのは、時間にゆとりのある大学時代だけです。基礎的な学力を身につけたら、興味が湧いた分野を自分から突っ込んで学んでほしいと思います。勉強は習慣です。学ぶ習慣をつけるのは大学時代に限ります。経営者の集まりなどでベンチャー企業の若手経営者などを見ていると、彼らは実によく学んでいます。これからはAI時代だからこそ、人ならではの学びが、社会に出て活躍するための大きなカギになるはずです。

 もう1つ、「体づくり」も大学時代にやっておいてください。何をするにも体力は必要です。思う存分、体を鍛える時間を持てるのも大学にいる間だけです。

 そのうえで、何か1つでよいから、突き抜けてほしいと思います。学問はもちろん、スポーツでもいい、遊びでも構いません。大学生の特権は、自由に使える時間のあることです。その時間をいろいろなことに分散してしまうのではなく、「これだ!」と思う何か1つに集中的に注ぎ込み、一芸に秀でる。対象は何でもよいのです。大切なのは、秀でるようになるまでの「プロセス」です。一度でもそのプロセスを経験しておけば、必ず他の目標を達成するときにも活かせるはずです。ぜひ、自分なりのオンリーワンを探し、飛び抜けた存在を目指してください。

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