甲南人の軌跡Ⅰ/上島 達司/半年間の留学体験が世界を見る目を養ってくれた | 卒業生の活躍紹介サイト | 甲南大学

半年間の留学体験が世界を見る目を養ってくれた

上島 達司

Ueshima Tatsuji

UCCホールディングス株式会社
グループ代表
代表取締役会長

1961年 経済学部卒

趣味・特技

ゴルフ・読書

好きな⾔葉

忍耐、努力、感謝

学⽣時代のクラブ・サークル

100日の船旅でブラジルへ

 中学受験をして甲南に入り、甲南一筋で育ちました。平生先生がいわれていた「徳育・体育・知育」の意味がようやくわかるようになったのは、高校入学後だったでしょうか。いわゆる「坊っちゃん学校」ですが、独自の教育のもとで、さまざまな友だちに恵まれたことが自分にとっては貴重な財産となっています。

 大学に入った当初は、フェンシング一筋の学生生活を送っていました。関西学院大学に同学年の強い選手が1人いて、彼に勝つことを目標に頑張って練習に打ち込んでいました。しかし、2回生の終わり頃に声をかけてもらったのが、ブラジル研究会です。

 ブラジル研究会は、前年に先輩の故・長岡良幸さん(薄ハッ荷カ商社の長岡実業前社長)が立ち上げたクラブで、当初はブラジルについて勉強したり、ポルトガル語会話を学ぶような集まりだったそうです。それが徐々に大きくなり、私が入った頃には、ブラジルの大学との間での交換留学のような制度もできていました。交換留学でブラジルに行く学生は、特別に休学も認められていたのです。「上島はコーヒー屋の息子だから、コーヒー農園のあるブラジルに行くと勉強になってよいだろう」という話が出て研究会に引き込まれ、その流れでブラジル留学に行かせてもらうことになりました。

 もちろん、人生初の海外旅行です。往復ともに船旅で、往路はパナマ運河経由で45日、帰りは喜望峰回りで55日かかりました。船に乗っている期間だけで3ヵ月以上になります。そして、現地のブラジルでも約3ヵ月滞在したので、合計半年近くを海外で過ごした計算になります。

 当時は海外へのお金の持ち出しが制限されていた時代ですから、実家の仕入先で、コーヒー豆を扱っている商社のブラジル支店に行ってお金を借りながら生活していました。そこでコーヒー農園を紹介してもらい、農園で手伝いをしながらコーヒーについていろいろ学んだのです。片言ですが、ポルトガル語も覚えて現地の人と仲よくなり、アマゾンの奥地までちょっとした探検気分で出かけたこともあります。

 この留学で得た何よりの財産は、外国人に慣れたことでしょう。現地の人とはポルトガル語でも話しましたが、英語も使いました。彼らにとっても英語は外国語だから、きちんと話そうとするので比較的わかりやすく、こちらの話もよく通じました。それより何より、相手が外国人だからといって、尻込みするようなことがまったくなくなったのが、後にビジネスをするようになってから大いに役立ちました。よく「可愛い子には旅をさせよ」といいますが、あの言葉は真実です。大学の勉強は2年生と4年生のときに頑張って取り戻したので、まったく問題はありませんでした。

いきなりの副社長からのスタート

 家業を継ぐことは、早くから意識していました。小学校時代に忘れられない思い出があります。食事をしているときに何気なく、必要以上に醤油をお皿に注いでしまったのです。それを見た父が「跡継ぎ息子がこれでは、うちも、もうこれで終わりやな」といいました。二代目がこんな無汰をするようなら、いずれ家業を潰してしまうに違いない。そんな意味を込めたぼやきだったのでしょう。まだ幼かったにもかかわらず、この言葉はいまだに忘れられないほど、私の心に刺さりました。

 高校時代には学校に電話がかかってきて、帰りに会社に寄るようにいわれたことがあります。まだ電話が珍しい時代ですから、よほどのことだったのでしょう。慌てて行くと、父が「医者からガン宣告を受けた」というのです。幸い誤診だったのですが、このときは目の前から風景が消えて真っ白になり、音も何も聞こえなくなりました。そんな経験をしていたので、大学を出ると、まず東京の商社に修行に出向き、そこで2年間学びました。寮生活とはいえ、1人暮らしは初めてのことなので、同部屋の先輩を通じて人間関係についていろいろと教わりました。その後、実家に戻った途端、副社長に就任しました。

 これは父の思いが込められた職位でした。当時のUCCは、まだ年商もそれほど多くなく、役職者そのものがほとんどいないような会社でした。一方で、ライバル会社では、私と同じように社長の息子が専務に就いていました。これに対抗意識を燃やした父は、私を専務ではなくあえて「副社長」というポジションにつけたのです。さすがに名刺に代表取締役副社長と入っていると、相手はそれなりの対応をしてくれます。ところが、実際には自分はまだペーペーの新人ですから、居心地が悪いことこの上ない。けれども、役職が人を育ててくれることもあるのでしょう。まさに、その頃から伸び始めた当社の業績と歩調を合わせるように、私も頑張ることができました。

 その後、1969年に缶コーヒーを発売すると、これが大ヒット商品となりました。わずか2年前には40億円ぐらいだった売上が、一気に100億円を超えて急成長を続け、1980年には遂に2000億円近くまで達したのです。日本経済がきわめて好調だった時代に、生活の嗜好品として缶コーヒーが受け入れられた結果です。正直なところ、売上2000億円は手に負えないというか、ちょっと「怖いな」と思いました。そう正直にいうと、父から「まだまだ、これからやないか」と叱られました。創業初代リーダーと自分の違いを感じた瞬間です。

 そして、私が社長に就任したときには、恵まれた家業を継いだことに、何としても報いなければならないと肝に銘じました。業界ナンバーワン企業を率いるリーダーとしての責任感や、そういうポジションに生まれてきたことへの感謝の気持ちを忘れず、業界全体の向上を考える視点も意識するようになりました。ブルーマウンテン、コナ、スマトラマンデリン、それにキリマンジャロの4大産地に農園を持つことを夢に、ひたすら前を見て走り続ける。そんな経営者生活を送ってきました。

書を読み、挑戦せよ

 当社では、毎年入社が内定した方に、入社前にコーヒーに関する本を5冊ほど贈っています。それを読んで、感想文を書くようお願いしているのです。こうでもしないと、なかなか今の学生は本を読まないでしょう。もちろん、放っておいても読む人は今でもいると思いますが、バイトに忙しかったり、何でもわからないことはスマホで調べればよいと思っている人は、本に手を出すことがないでしょう。

 読書は大切です。私は中学時代に病を患い、しばらく家で療養生活を送ったことがあります。このときには一気に目が悪くなるぐらいに本を読みふけりました。といっても、難しい古典などを読んだわけではありません。吉川英治の『新書太閤記』などの歴史物語が面白くて仕方なかった。そのような歴史ものをたくさん読んでいるうちに、その元となった古典の世界にも惹かれていったのです。だから、最初は何でもよいので、まず自分が面白いと思える本と巡り合うことが大切です。本当に簡単な読み物でよいのです。スマホの画面ばかり眺めていないで、ともかく本との接点を持つことが大切です。

 もう1点、今の学生さんにぜひ伝えたいのが「良い」意味での欲を持つことです。何もかも豊かになった世の中だから、今さらとくに欲しいものなど何もないのかもしれません。だからといって、上品になりすぎてはいけない。何かに挑む気持ちを忘れると、そこで成長が止まってしまいます。挑むべき目標を持つことは、いくつになっても大切です。すべてを勝ち負けで判断する必要はないですが、「これだけは絶対に人には負けないし、負けたくない」。そんな気持ちを大切にしてください。

 私の座右の銘は「忍耐、努力、感謝」です。何か目標を定めたら、それに向かってコツコツと息長く続けることが大切です。ただし、頑張るからといっても、「元気よく、明るく」を忘れないことが大切です。甲南生のみなさんの今後の飛躍を心から期待しています。

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