歴らぼ読書班/遺跡巡り班の巡検@小野市

2022年5月29日、読書班のメンバーで小野市を散策しました。まず、鎌倉時代初頭に重源上人が建立したとする浄土寺を訪ねました。浄土堂と堂内の阿弥陀三尊立像はともに国宝に指定されています。実際に見ると、本当に大きく立派な仏像で、すごく見応えがありました。冬には夕焼けに照らされた神々しい仏像の姿が見られるそうです。また、共進牧場では採れたてのミルクを使ったソフトクリームを食べました。とても新鮮で美味しかったです。小野市は 空気が澄み、のどかで落ち着く場所だと実感しました。また訪れたいです。(1回生・網干理子)

東谷ゼミ巡検@高野山

2022年5月29日、東谷ゼミ2・3年生は高野山へ行きました。 今回は仏教史を専門とする大学院博士課程の院生の方にも解説して頂き 、豊臣秀吉や明智光秀ら歴代武将の墓や弘法大師の廟のある奥之院や金剛峯寺を代表する大塔などを見学しました。数多くの墓があり、ゼミ生の中にも先祖の墓に手を合わせる人もいました。巡検では、2・3回生の交流が深まり、良いきっかけとなりました。境内の至る所で無料の温かいほうじ茶が振舞われており、登山の一服として気持ち良いものでした。少し行程にトラブルがあったものの、それも良い思い出となりました。(3回生・ 柴山和弥 )

下関市立美術館の学芸員として

私は学部(歴史文化学科)時代には、語学や歴史の授業に出ており、稲田先生のゼミ(東アジア史)で学びました。高校までピアノを習っていたためドイツの歴史や文化に興味をもっていたのですが、夏休みの1か月間、ドイツ・ライプツィヒの語学学校に行ったことが、現在の進路のきっかけになりました。また中学から大学まで美術部に入っていたこともあり、ドイツの美術にも興味を抱きました。そこで美術史という学問があることを知り、研究を志すようになります。そして神戸大学大学院人文学研究科に入学し、宮下規久朗先生のもとで本格的に美術史学を学びました。日本学術振興会特別研究員の研究費などによってドイツのレーゲンスブルク大学に計3年間留学し、現地の先生や院生に教わりながら研究しました。そして、16世紀のドイツの聖母像や風景画をテーマに博士論文を書き、博士号を取得しました。その後大学の非常勤講師などを経て、2020年から下関市立美術館の学芸員をしています。まだ慣れないことも多いのですが、美術作品にじかにふれられる喜びを感じながら、日々を過ごしています。(2010年度卒業・藪田淳子)

歴らぼ読書班巡検@司馬遼太郎記念館

私たち読書班は、2022年4月2日に大阪府東大阪市の司馬遼太郎記念館に行きました。司馬氏の住宅と安藤忠雄建築のミュージアムで構成されている記念館は、自然の美しい庭園と現代の建築技術が見事にマッチしていました。館内では、司馬遼太郎の書いた小説や小説を書くために集められた資料で埋め尽くされた壁一面の本棚があり、古書好きや本好きにはたまらない空間です。私は本好きなので、この本棚を見たときの感動は言葉に表せないものでした。読書班は名著を読み議論するだけでなく、巡検も行います。思っているよりも楽しい活動なので、ぜひ一度参加してみてください。(3回生・畑匡洋)

東谷ゼミ巡検@彦根

2022年3月31日、東谷ゼミ一行は彦根に行きました。先生の詳しい解説と共に彦根城や玄宮園、足軽屋敷などをまわりました。彦根城博物館では、「井伊の赤備え」と呼ばれる甲冑や美術工芸品が数多く展示されており、井伊家と彦根の豊かな歴史を学びました。彦根城では傾斜60度の階段を登ったのですが、壁を登っている気分でした。生憎天候には恵まれませんでしたが、ひこにゃんが想像の倍可愛くて、癒されました。待って見た甲斐があったと思います。就活活動の息抜きに参加できて楽しかったです。(3回生・徳留亜美)

ひこにゃん

2021年度卒業論文・田口智子(髙田ゼミ):イギリスにおける精神病院とコミュニティ・ケア 1890-1930-揺れ動く正気と狂気の境界線-

イギリスでは、18世紀後半からの都市化に伴い、精神疾患の治療の場となった精神病院は正気と狂気の境界線を引く役割を担った。しかし、精神病院の過剰収容問題に加え、第一次世界大戦時の戦争神経症の多発により、施設による線引きに限界が訪れた。そこで、戦後にコミュニティ・ケアが導入され、地方自治体やボランタリー団体、ソーシャル・ワーカーなどが精神医療に参入した。その結果、教育や労働といった新たな視点からの線引きが行われるようになり、境界線が複雑化した。狂気に病名がつけられ、細分化されることで、軽い不調でも精神疾患に当てはめることが可能となり、正常(正気)の範囲が縮小されていったのではないかと考える。

ベスレム精神病院
[典拠] Sarah Rutherford, The Victorian Asylum, Shire, 2008, p. 9より引用。

2021年度卒業論文・栫 晴哉(髙田ゼミ):マルキ・ド・サドの幸福論-道徳観念と快楽原則からみる善悪の彼岸-

18世紀末に起こったフランス革命の、黎明から終焉までの全てを生きた文学者マルキ・ド・サド。「サディズム」の由来となったサドは、性倒錯や残虐性、暴力といった「悪」を描く「夜の太陽」として従来研究されてきた。しかし本論文では、文学と現実で起こった革命の交差点にサドを位置付け、彼の言説が新旧の秩序を繋ぐ中間的存在であったことを主張する。その立証のために、サドの略歴と言説に時代背景を照合し、社会が「幸福」という新たな理念へ向かった道程を明らかにした。そして、「性と哲学」、「美徳と悪徳」の二項対立のテーマから、フランスの政治文化において、いかにしてサドが新たな時代の「日の出」となったかを論考した。


サド侯爵、王政復古の幻想画
[典拠] W.レニッヒ/飯塚信雄訳(1983)『サド』理想社、55頁より引用。

2021年度卒業論文・三宅正晃(出口ゼミ):街道を歩く人々―旅人にとっての東海道とは何か―

私は高校時代から歩くことが好きだったのですが、大学3年になりより長い距離を歩くことが好きになりました。その中で全長496キロの東海道を14日かけて歩いたのですが、道中では私のように東海道を歩いている旅人を何人か見かけ、「この人たちは何故東海道を歩いているのだろう?」という疑問が生まれ、そこから始まったのが私の研究です。研究方法は、①中世~近代の旅人が東海道を歩いた際に記した紀行文を読む、②フィールドワークとして実際に東海道を歩き、自ら体験すること、③そこで出会った旅人にお話を伺うことです。これにより「現代の旅人はなぜ東海道を歩くのか」、「現代の旅人にとっての東海道とは」を明らかにしたいと考えました。紀行文からはかつての東海道は伊勢参宮などの信仰が重要であったことがわかりました。フィールドワークからは現代の旅人は信仰的な要素はなく、健康面で歩かれている方が多くいました。また、東海道は他の街道と比べても平坦・往来するための交通機関の充実など、良い意味で「丁度良い」街道であったということがわかりました。本研究では11人の東海道を歩く旅人にインタビューをしました。5分以内で終わる短いインタビューでしたが、非常に有意義な時間を過ごすことができ、人との出会いの大切さを学ぶことができました。一期一会という言葉がありますが、街道歩きはまさしくこの言葉そのものだと思います。私はこれからも街道歩きという趣味を続けていくので、旅を通じて多くの人に出会うと思います。また日常生活においても、多くの人に出会うでしょう。そのような人との出会いを大事にするということを学ぶことができました。

撮影日:2021年10月7日
東海道歩きは京都の三条大橋か東京の日本橋から始まります。写真は三条大橋ですが、旅の始まりには『東海道中膝栗毛』の主人公である弥次さんと喜多さんが出迎えてくれます。

「甲南大学の学芸員養成課程」展の開催(ギャルリー・パンセにて3月15日まで)

この「甲南大学の学芸員養成課程」 展は、甲南大学開学70周年記念事業の一環として開催しています(甲南大学5号館1階ギャルリー・パンセ・2022年3月15日16時まで)。本学の学芸員養成課程は、歴史文化学科が開設された2001年に始まりました。この展示では、学芸員養成課程をめぐる講義のうち、博物館実習ⅡとⅢにおける成果の一部を紹介します。博物館実習Ⅱでは、甲南大学博物館を立案するという企画に取り組み、受講生らの考えたプランを、また、博物館実習Ⅲでは、受講生がそれぞれに経験した館園実習の内容を表すポスターをいくつか掲示しています。そのほか、関連する活動として白鶴美術館との連携についても紹介します。短い会期ですが、ぜひ見にきてください。(文責・鳴海邦匡)

2021年度卒業論文発表会に参加して

私は、2022年2月25日(金)に523教室で行われた卒業論文発表会に参加しました。オンラインも含めて25名が参加するなか、5名の4回生が卒論内容を報告するとともに、後輩からの質問に答えました。どの発表もよく調べられた内容で、すごいなと感じるとともに来年度に卒論を執筆する自分としてはプレッシャーに感じました。特にかつて3年生時のゼミ報告で聞いたものが、卒論として緻密な形になったことに驚きました。また、自分の研究内容に近い卒論も報告されていたので、とても参考になりました。(3回生・伊藤啓太)