歴文生訪問記:台湾紀行③台湾に残る神社の跡地

1895年から1945年まで、台湾は日本の領土でした。そのため、台湾各所には日本統治時代の史跡が残されています。代表的なものとして、台北にある旧台湾総督府庁舎(現・中華民国総統府)をはじめとする建築物が挙げられますが、それ以外にも様々な史跡を発見することができます。中でも神社跡地は興味深いものでした。日本時代、台湾各地には250を超える神社が建立されたため、意外と簡単にその跡地を見つけることができるのです。2023年3月に訪問した「金瓜石神社」跡地は、1940年代に奉納された鳥居や灯籠が原型を留めていることから、著名な神社跡地として知られています。(3回生・大槻耕央)

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歴文生訪問記:台湾紀行②台南の歴史と文化

2023年3月に台湾・台南を訪問しました。台南は台湾本島最古の都市であり、「台南に行ったことがなければ、台湾に行ったとは言えない」と表現されるほどに台湾文化の「源流」とも言うべき史跡が点在しています。明・清代に建立された孔廟・祀典武廟などの道教寺院はその代表格と言えるでしょう。これらの寺院は現在も台南の人々から篤い信仰を集めており、線香や冥銭などを用いた伝統的な参拝が行われています。加えて、台南の地に台湾史上初めて漢民族の政権を建てた鄭成功に関する史跡や彼を祀る寺院も、台湾文化の「源流」と言わしめる台南を象徴するものであったと感じました。(3回生・大槻耕央)

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歴文生訪問記:台湾紀行①概要

私は、2023年3月に2週間ほど台湾を訪問し、台湾各地の巡検を行いました。台北以外の地域にはほとんど訪問したことがなかったため、今回は台南・高雄・台東・九份・台中・南投などの地方都市巡りに重点を置き、それぞれの地域で気候・風土・人々に触れる機会を設けました。中でも台東・南投では台湾原住民の方々と交流する機会があり、彼らが古来より独自の文化を育み、伝えてきた様子を知ることができました。また、台南などの中華文化圏では漢民族による伝統的な風俗習慣、信仰や言語などの文化を体験し、理解を深めました。加えて、各地に残る日本統治時代の史跡を訪問し、かつての日台関係を再認識するとともに、現地で親しくなった方々への聞き取り調査も可能な範囲で実施し、台湾近現代史を生身で学習することができました。機会があれば、また訪問したいです。(3回生・大槻耕央)

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第3回甲南大学西洋史研究会開催

甲南大学のなかで西洋史を深く学びたい人たちが集う研究会を昨年から開催しています。教員だけでなく、学生も一緒になって、本学の西洋史研究を発展させようという意図です。3月24日(金)には第3回目の研究会が開催されました。吉本淳哉氏(2年生)が、「近代スペインと「自由主義」―カディス憲法を中心として―」と題する報告をし、林孝洋氏(本学非常勤講師、イタリア近代史)からヨーロッパ近代史における自由主義と憲法の理解に関するコメントをいただきました。また、阿久根晋氏(本学非常勤講師、ポルトガル近世史)にも討論に加わっていただきました。学生たちも鋭い質問を投げかけ、積極的に討論に参加し、充実した会となりました。今後とも、不定期ではありますが、研究会を継続していくつもりです(教員・髙田 実)。

2022年度卒業論文・山城理奈(佐藤ゼミ):軍書における浅井長政の評価の比較

私は、戦国時代の北近江(現在の滋賀県)を統治した浅井長政について研究しました。現代において、浅井長政は織田信長の妹である市を娶った後、信長に背いた「謀反者」として広く知られています。長政は文武に秀でており信長と互角に戦い、周囲に大きく影響を与えました。私は、成立期の異なる軍書である『信長公記』『信長記』『浅井三代記』の三冊を比較し、引用の部分や表現の異同を調べ、浅井氏の評価は著者ごとにどう異なり、どう変化していくのか考察しました。また、先行研究との評価の違いも自分なりに考察しました。比較のため史料の重要な部分はエクセルで一覧表を作り、別表として論文に添付しました。大変で時間のかかる作業でしたが、こだわったことで満足のいく論文となりました。

近藤瓶城 編『史籍集覧』第6冊,近藤出版部,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3431173 (参照 2023-03-08)

2022年度卒業論文・平松万奈(髙田ゼミ):フランス三色旗の誕生と変容-デザインとレトリックの視点から-

本論は、大きく大革命期、19世紀、第二次世界大戦期に分けて構成されており、三色旗の誕生とそれからの変容をデザインとレトリックの視点から論じている。フランス三色旗の誕生は、フランス大革命期にまで遡る。この標章はパリで生まれたが、「革命祭典」という場によって国全体に広められていき、この3色がフランスにふさわしいということで国旗に定められた。ただ実際に、「国民」全体に三色旗が定着したわけではなかった。ここで重要になったのが、国旗をめぐる人々の「衝突」である。三色旗には、対抗関係にある標章が存在しており、それが「白旗」と「赤旗」であった。本稿では、これらとの衝突の度に、三色旗が人々に記憶されていき、徐々に三色旗が定着されていったと主張する。

H.F. フィリッポトー『1848年2月25日、市庁舎前で赤旗を退けるラマルティーヌ』(1848年頃) ※サイト「Paris Musées Collections」より

2022年度卒業論文・岸本真結子(髙田ゼミ):1960~70年代におけるファッション感覚の変化と女性の自立-『anan』と『装苑』の分析から-

1960~70年代は自分で作る仕立服から売っている既製服への転換の時期であり、その転換の時期に創刊した『anan』、第二次世界大戦前から続く『装苑』の2誌を取り上げ、それぞれの異なる特徴や役割について考察した。『anan』は、当時当たり前であった仕立服を一切排除し、既製服のみの紹介を行った。また既製服だけでなく、強気な文言で女性の自立を支持する姿勢や女性のひとり旅の推奨などによって、当時の女性が求めた自立・解放に大きく貢献した。『装苑』は服を作るために必要な情報を掲載した。しかしその仕立服も既製服のような新しいデザインや形が多く取り上げられ、新しい存在を無視することなく、読者に寄り添う形で紹介していた。女性の社会性や環境を大きく変える流れを作り出した転換期は、まさにファッション史における重大なターニングポイントである。

『anan』創刊号表紙(1970年3月20日号)

2022年度卒業論文・岡本亜有花(髙田ゼミ):近代日本における女子の理想 ―音楽のたしなみと女子の生き方―

20世紀前半の女子就学者は、学校外での学習で、音楽などの「たしなみ」を身につけることに力を入れていた。それは女子の「幸せな」結婚生活のためであった。近代家族の女子の役割の1つは、一家団欒に寄与することであった。音楽は、家族の娯楽、夫との趣味の一致、婦女自身の慰みになり、家内和睦に繋がる。また、楽器を習うことはお金がかかるため、教育にお金をかけているとアピールすることに繋がる。それは女子のイメージとして抜群で、音楽のたしなみを身につけることは花嫁稼業とされていた。 女子の幸せ=結婚だったこの時代、女子本人はともかく、親も自分の娘にふさわしい、あわよくばワンランク上の結婚相手を期待していた。同じ学歴ならば、高い相続文化をもつ女性の方が配偶者の経済力が高くなることが社会学で証明されている。たしなみは婚姻を通じて経済力、そして幸せに変換されていたのである。

『婦人グラフ』 国際情報社 1927年4月号より転載

「れきぶらまっぷ」作製秘話:Part.1企画の立案~採択まで

「れきぶらまっぷ」企画の発端は、私が2回生時に「地理学・民俗学資料研究Ⅳ」(担当:鳴海先生)で企画書を作成するという授業を受けたことでした。歴史文化学科での学びは社会と直接関わり難い印象がある中、歴史文化の学びと社会をつなぐ企画を考えました。そして大学生活の中で、何か一つ「これをした」ということを作りたかったという理由から授業で考えた企画を実際に実践したいと考えました。鳴海先生に指導してもらいつつ、改善した企画書を学内助成の「父母の会・学生GP」に応募しました。一次選考の書類審査と二次選考のプレゼン審査を通過し採択に至りました。この過程の経験や培った力は、私の中で大きな財産となっています。(4回生・畑匡洋)

「れきぶらまっぷ」作製しました!By歴らぼ探検隊

私たち歴らぼ探検隊(歴らぼ地図班4名と有志9名)は、「2022年度父母の会・学生GP」に『甲南大生の為の歴史文化的ガイド@岡本界隈~歴らぼ探検隊、地図を作る~』という企画を応募して採択されました。その成果として「れきぶらまっぷ1&2」を作製しました。このまっぷは歴文生が実際に現地まで行って調査した大学周辺の歴文的ポイントを紹介しています。有名な場所はもちろん、道中で見つけたニッチな歴文的ポイントもあります。まっぷの地図・文章・写真・イラストは、鳴海先生の指導も得つつ、私達が作製しました。ほかの観光地図とは一味違う歴文オリジナルマップ。ぜひ手に取って、歴ぶらしてみましょう。(歴らぼ探検隊代表・4回生・畑匡洋)