アラビア語勉強会

アラビア語勉強会では、アラブ中世史を専門とする中町先生の指導のもとアラビア語の基礎を学んでいます。私達の最終目標は「アナと雪の女王」のテーマソングのアラビア語版を理解することです。2014年度の前期に名詞、形容詞を使った文章や疑問文の作り方を学び、現在は動詞の活用を学んでいます。勉強は配布資料と板書で行っています。今のところ参加人数は6人程度(2回~4回)です。勉強会は毎週金曜日の昼休みに、昼食をとりながら中町先生の研究室で行われています。興味のある人は気軽に覗きに来てください!(3回生・森本あかね)

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『地域社会における「藩」の刻印-津・伊賀上野と藤堂藩』

S 東谷先生、夏休みに『地域社会における「藩」の刻印-津・伊賀上野と藤堂藩』(藤田達生監修、三重大学歴史研究会編、清文堂出版)が刊行されたんですね。2009年の『藤堂藩の研究 論考編』(藤田達生監修、三重大学歴史研究会編、清文堂出版)、2012年の『伊賀市史』第5巻資料編・近世に引き続いて、また伊賀や藤堂藩に関する本ですね。

T 戦国武将の藤堂高虎が初代藩主の藩だね。高虎は、伊賀・伊勢両国(現三重県)に領地をもらった大名で、築城の名手として知られていて、大坂城は彼が設計したんだ。家康の懐刀として朝廷と交渉するなど、とても有能な政治家なんだよ。

S たしか高虎の果たした役割について、新説を出されたとか。

T うん、2009年の本と今年の本に書いているよ。

S どんな説かかいつまんで聞きたいけど、「勉強のため自分で読もう」と言われそうなんで、話を変えますね。2012年の本では何を書いているのですか?

T 藤堂藩に関する江戸時代の史料を収録した本だよ。作り始めてから8年くらいかかったかな。新聞にも取り上げられ、話題になったから覚えている人もいると思うけど。

S きっと忍者のことも載ってますよね。伊賀ということは。

T 幕末に来航した異国船に忍び込んで探索したと言われているけど、実際は幕府の役人が「忍者」を連れて案内したことが分かった。忍術を駆使していたわけじゃないんだよ。

S 実際は映画とかと全く違うんだ。はい、自分で読みますね。でもまずはネットで検索してみます。・・・え?、先生、先生がYouTubeで本の内容を!

 

甲南大学図書館

本学図書館棟は、あまたの大学や公共の図書館を手がけた鬼頭梓(1926-2008)建築設計事務所の設計により、総工費約14億をかけて1978年に竣工しました。「レンガをあしらった落ち着きのある外観の中にも、学園らしい若々しさと明るさを巧みに表現している」として1980年の第3回神戸市建築文化賞を受賞し、1993年には神戸建築百選の一つにも選ばれています。阪神大震災を乗りこえ耐震補強工事をおえた図書館は、現在、50余万冊の蔵書を擁し、年間延べ30万人ほどの学生・教職員等に利用されています。(稲田 清一)

(右は完成当時の写真です)

甲南大学図書館(1978年)

歴史文化学科 共同図書室

私は、2013年3月から歴史文化学科の共同図書室に勤めています。主な仕事は、学科の図書の管理と図書室を利用する学生の対応です。この欄では図書室から見た学生の様子を紹介しようと思います。ここには様々な学生が訪れます。本を借りたり読んだりする人は勿論、静かに考えたり、友達と待ち合わせたり、はたまた人生相談?に来たりと。多くの学生が落ち着く場所と感じているようで嬉しく思います。今年は歴らぼに集う学生も増えて、ますます活気付いたように感じます。個性豊かで熱心な学生達と接するときは仕事をしていて楽しいと感じる瞬間の一つです。まだこの図書室に来てない人は是非一度足を運んで下さいね!(本島香苗)

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歴ふぇす開催!

「歴らぼ」では“歴ふぇす”と銘打ち、2014年10月に第1回目の報告会を行いました。 6つのグループが活動内容などをまとめ、他のグループや一般参加の学生に対し発表を行いました。 その後の交流会は、メンバーが個別に説明を行い、先生を囲んで談笑する様子が見られるなど有意義なもの。 また同年12月  13日にも、歴史文化学科に来年度入学する高校生を対象に、”歴ふぇすagain”が開催しました。参加した高校生は、歴らぼや大学生活への興味が湧いたようでした。 短い時間でしたが、歴史文化学科の学生と高校生との間で会話が弾み、楽しく過ごすことができました。(3回生・碓永亜弓/山本幸尚)

※右は歴ふぇす後の集合写真

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ラオス訪問記 中辻先生を訪ねて

私を含めた4人の中辻ゼミ生がラオスに行きました。あまりなじみのない国のため、未知の世界に行くようで楽しみで仕方がありませんでした。いざ行ってみると、ココナッツに穴をあけてそこから直接ストローで飲んだり、象に乗り川を渡ったりするなど、日本では経験できないようなことがたくさんありました。 焼畑は稲をすべて刈れるのか不思議なくらい広大さで、圧巻でした。先生はよくもまあこんな暑い山奥の中で普通に調査ができるのかと不思議に思うほど、暑い場所でした。(3回生・石田久典)

※左はルアンパバーンの焼畑写真

ラオス写真