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2016/11/01
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【リレーエッセイ048】 「戦争があって吾輩は生まれた―2016年という年の巡りあわせ―」(小林 均)

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2016年もあと2か月で終わろうとしている。この年は「初の」「ぶり」「以来」という表現がメディアに踊った年である。5月オバマ広島に来る、夏のオリンピック、ボルト3連覇、錦織アントワープ大会以来96年ぶりの表彰台、皮膚がんを恐れず夏の合宿で最も情熱を込めたテニス(その当時は軟式)したものにとって「ありえない」という感動、陸上400メートル銀、体操団体男子金、バトミントン女子ダブルス逆転初の金、ネイマールPK5番目決めてブラジル13年ぶりの金、当時小学生の野球少年にとって忘れない日本シリーズで活躍した西鉄ライオンズ豊田泰光逝去、あの江川の作新学院54年ぶり甲子園優勝、自己にとっても、そして日本にとっても、その他あらゆるものが凝縮した一年で、「区切りの年」と言ってよいかもしれない。
2016年は甲南学園創立者平生釟三郎生誕150年、夏目漱石没後100年、来年は生誕150年、そういった年に人生の一つの区切りを迎えることには感慨深いものがある。『吾輩は猫である』は生誕111年を迎える。10月27日三笠宮100歳で逝去の報に接する。ちなみに吾輩に最も人格形成上大きな影響を与え、三笠宮についてよく語った母の生誕100年でもある。
今年のノーベル文学賞はボブ・ディランに12月10日与えられることになり、その受賞の是非が議論になり、当人への連絡断念、公式ホームページから受賞報道の削除、それらに対する選考委員の批判、そして受賞喜びの連絡等の報道がなされている。毎年受賞候補として注目される文学者の作品に目を通したことのない人間にとって、「風に吹かれて」を一度は聞いたことのある世代の一人として、彼の行為が当時の若者世代への影響力の強さとそのメッセージの現代の状況に対して通ずるものがあるという普遍性が選考の背景にある、と勝手に解釈し、その選考の持つ時代感覚に何か凄さを感じ、それがいつの時代でもそこに生きるものが常に持つ新しい時代の予感や希望を抱かせてくれることにつながるのでは、と思った。
「偉大なるアメリカ音楽の伝統の中で新たな詩的表現を生み出した功績による」と選考委員会はその選考理由を挙げた。その選考に賛否分かれる中で、肯定的な評価が 『Rolling Stone』のウェッブ上の10月16日付の記事でRob Sheffieldという方が展開している。偶然にもわが甲南学園に切っても切れない「わが車星につなぐ」(Hitch your wagon to a star)のエマーソン(Ralph Waldo Emerson)につながるのである。
上記記事によると、エマーソンが1850年に表した『偉人論(Representative Men)』の中のエッセイ『Shakespeare; or the Poet』での言葉が、今回のディラン受賞の根拠を的確に言い当てている、という指摘である。エマーソンはディランのアルバム『ショット・オブ・ラブ(Shot of Love)』がリリースされる100年も前に亡くなっている。
上記記事では、シェイクスピアがエマーソンにとって偉大とされるのは、劇場という怪しげな箱を自由に操った点にあり、「シェイクスピアは彼の同業者と同様、多くのゴミの山とも言える古典演劇を尊重した。そこではどんな実験的な試みも自由にできた。名声が現代悲劇を妨げたならば、何も成し遂げられなかっただろう。ストリート・バラッドのように、活気あるイギリスの熱く煮えたぎる血が劇中に循環したのだ。」と。シェイクスピアを、その詩を低レベルの観客向けに作り、「世界の歴史に残るべき最高の詩人は、彼の才能を大衆娯楽のために使い、世に知られることもない世俗的な人生を送った」とエマーソンは評した。
ウェッブ上の著者は言う。シェイクスピアとディランとの同等性を。ディランは多くの本を著していないが、その楽曲はシェイクスピアと同じ「熱く煮えたぎる血」から生まれたものであり、ディランはそのスピーチの中で、フォーク、ブルース、カントリー音楽における自分自身のルーツを明かし、「すべての楽曲はつながっている。ごまかされないで。いろいろなやり方でいろいろなドアを開けただけだ」と。伝統が新たな形で展開されていることになる。つまり革新である。正に、「偉大なるアメリカ音楽の伝統の中で新たな詩的表現を生み出した功績」なのである。
「戦争が終わって僕らは生まれた」という歌詞がある。『戦争を知らない子供たち』という曲の歌詞の一節である。団塊の世代を表すものである。吾輩はこの世代に属する。この歌詞は、戦争が終わって、多くの人が焼け野原の中、家族一緒という普通の生活を再開し、その結果として多くの子供が生まれた、という自然現象が表面的かつ形式的な意味合いと言える。この曲の実質的な意味は、戦後にこれまでと異なる新しい教育、文化の下で育った世代が、集団として自己を主張しはじめた歌ということである。
その団塊世代も70歳近くを迎えようとしている。戦後70年も過ぎ、2020年には東京オリンピックが開催される。長生きできれば、東京生まれ・育ちの吾輩にとって2度目の経験となる。「もはや戦後ではない」、と1956年『経済白書』は経済力が戦前を超えたという意味で言ったが、戦後と共に育った世代の多くが一線を退くことになり、正しく、「もはや戦後ではない」。2019年そして2020年は新たな時代の始まりとなってほしいと願っている、一人である。
東京オリンピックの売り文句に「おもてなし」があり、それに代表される日本文化への好奇心、憧れ、そして為替の影響で、外国人旅行者、いわゆるインバウンドが増加し、1963年観光基本法が制定された年に30万、翌年1964年東京オリンピックの年の35万に比べ、10月30日で過去最高の2000万人を超え、爆買いは減少したものの、観光立国としてさらに進化しているのが今日の日本であり、この国をどうするかで様々な議論が展開されているのが日本の現状である。
そうした中、団塊の世代は、高度成長のビフォー(貧しさ)アフター(豊かさ)を経験している貴重な存在で、それが、そろそろ絶滅危惧種になる日が近づきつつある。団塊の世代として、今日そしてこれからの時代に対して何らかの「社会貢献」ができれば良いのだが、むしろ「社会貢献」という言葉に、やや距離感を吾輩は持っている。ひょっとするとその距離感は団塊の世代の共通の特徴かもしれない。
団塊の世代に属するといっても、同世代の方とはやや事情が異なるのが吾輩の特徴である。幼稚園に始まり、大学に奉職し今年度で退職するまで、小学校の頃からいつでも感ずるところがある。育った環境、特に親の世代が同期の方とは異なるのである。いつでもクラスは二人兄弟・姉妹が多く、親の年齢も若い。長兄、長女、次兄、そして吾輩と4人兄弟姉の末っ子として育てられたが、1年上にゼロ歳児でこの世のすべてを失った兄が一人いる。父は明治の最後の1年前、母は大正の初めの生まれ、親の生きた時代が異なるのである。時代が異なるということは、文化、考え方が異なるのである。いつもどこかで、他の家庭とは異なるものを感じていたが、物の見方が異なるのである。古いのである。
古いといっても、戦後新しい時代が始まり、それに旨く合わせて両親は生きたと思う。そうはいっても、基本的なものの見方は、すぐに簡単に変わるものではない。そうした中で母親の影響を非常に大きく受けたのが吾輩である。母は今でいう、専業主婦に始まり、父が商売をはじめ、それに合わせる生活をしてきた。母が吾輩を一人連れ、様々なところへ連れてゆき、多くのことを語った。母は母子家庭で育ったこともあり、「お婆さんが(吾輩にとって)がよく言っていたが」という形で日々の生き方や、関東大震災、太平洋戦争、第1次安保の学生運動における樺美智子さん、池田勇人の評価、銀座での募金活動をきっかけとする原爆ドームの存続の是非、そして東大の安田講堂事件、浅間山荘、ヒッピー運動、そして三島由紀夫の事件について。『戦争を知らない子供たち』どころか、戦争について、戦前について、そして戦後について語り、聞かされたのである。
語ることに共通していることがある。今でいう学歴はなく、その時代その時代を生きた普通の人間として一市民として、そして比較的裕福に(納税額によって選挙権が与えられた家庭で)育った一人の女性として83歳で逝った人間のものである。群れることを嫌い、他人との比較でものを考えたりすることを戒めた。「人は人、あなたはあなた」と。父が母のことを、「100人いて、99人が右の道を行っても、一人別の道を歩む」と。大正、昭和の戦争までの日本の時代感覚を体現しているような人とはそういう人たちかもしれない。昭和8年、現在の川崎重工業でその当時川崎造船社長就任時の再建演説での言葉とされる平生の「正(志)く、強く、朗らかに」に生きた人であった。それは、今日「おもてなし」が日本の特徴とされうるならば、新しい時代では、もう一度日本的なものを再度確認してもよいと思う。新しい時代とは、温故知新であり、温甲知新となるであろう。
戦争があったが故に、頑健な次兄とは5歳離れている。そしてゼロ歳児で人生を謳歌できなかった次兄がこの世にあったなら、吾輩はこの世に生を受けなかったかもしれない。「戦争があって吾輩は生まれたのである」。誕生日は、奇しくも、母がその姿を確認できない年齢でこの世を去った父、つまり吾輩の祖父と同じである。その祖父、祖母、両親とも東京新宿の夏目坂に眠っている。今年は祖父・祖母の生誕140年にあたる。

[文責]小林 均(経済学部教授)

 

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