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2023/11/01
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【スポ健リレーコラム】[第28回]
電池切れへの備え

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 今日、私たちの身の回りには、ICT機器をはじめ、様々な電子機器が存在しており、それらはごく日常的に使用されている。写真や動画の撮影、インターネットでの検索、音声の録音、さらには翻訳など、その機能を挙げればきりが無い。さらには文科省でGIGAスクール構想が提唱されるなど、教育場面におけるICT機器の活用能力向上にも注目が集まっている。

 私自身、日常生活のあらゆる場面において電子機器類を頼りにしている。電車やバスの時刻表を調べる、電話をする、動画を撮影する、あるいはeメール送信など、その用途は多岐に渡る。しかし最近、ふと思うことがある。「このまま、これらの機器に頼りっぱなし(依存したまま)で良いのだろうか」ということである。そういえば、携帯電話を所有する前は、自宅はもちろん、親戚宅や友人宅の電話番号をいくつも記憶していたし、頻繁に利用する交通機関の時刻表も覚えていた。仮に、記憶できなさそうなことに関してはメモを取るのが普通であった。それが今や携帯電話のメモリー機能やインターネットの検索、さらにメモがわりの写真撮影など、当たり前のように電子機器の機能に頼っている。

 身の回りにある電子機器類が、私たちの生活を豊かにしてくれていることに異論は全くない。しかしながら、ここで述べている「豊かさ」は、あらゆる電子機器の機能の上に成立している。仮に、この「豊かさ」を支えている電子機器類の「電池が切れたら」私の生活はどのようになるのだろうか。「電池切れ」が私たちの生活に及ぼす影響は、電子機器類の機能が高度になればなるほど深刻になる。このような事態に遭遇した時、私たちは何を頼りにすべきだろうか。

 本学の創設者である平生釟三郎は、昭和13年の阪神大水害の後に「常ニ備ヘヨ」という箴言を残した。この平生の言に対して、私は「予測不可能な災害への備えに留まらず、日常生活における不測の事態を想定した思考・行動の重要性が示唆されている」と感じている。電子機器類の高度な機能に支えられている今日、その便利さに酔いしれるのではなく、常にその「電池切れ」への備えを考えておく必要があるだろう。とりわけ、高等教育機関に位置付けられている「大学」においては、初等中等教育機関に比べ、そこでの教育プログラムに関わる多くの事業が電子機器類の機能に支えられている。「大学教育」こそ、「電池切れ」への「備え」について真剣に考えねばならない。この「備え」の根幹をなすのは「身体の能力」である。私たちは身体を通して、考えたり、感じたり、行動したりする。身体は私そのものであり、身体の能力を高めるということは私の能力を高めることである。このようなことから私は、「大学生における身体性の涵養」に相応しい教育プログラムの構築が急務であると考えている。これに関して、甲南大学で何ができるだろうか。本学の体育・スポーツの教員としての立場から、この問題についてはじっくりと考えていきたい。とはいっても今、パソコンで文章を作成している最中に「電池切れ」が訪れたら、果たして私は本稿を紙と鉛筆で書き上げられるだろうか……

 先ずは自分から、「電池切れ」への備えについて考えるとしよう。

 

文科省,GIGAスクール構想の実現へ(https://www.mext.go.jp/content/20200625-mxt_syoto01-000003278_1.pdf ,参照日2023年10月22日)

 

スポーツ・健康科学教育研究センター/全学共通教育センター 吉本 忠弘

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