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2024/05/01
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【スポ健リレーコラム】[第34回]
スポーツ指導の現場から
「目標と計画」の在りかたについて考える

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 「目標設定と計画立案」は達成スポーツの競技力向上において重要な役割を担っている。達成スポーツとは、スポーツ実施者が自身の技能向上を目的として行うスポーツであり、健康的な効果を期待するフィットネススポーツや、気晴らしを目的とするレクレーショナルスポーツとは異なった価値観で行われるものである。

 達成スポーツのトレーニングでは、自身の達成力向上に向けて競技会までの限られた時間内で「何を、どのようなレベルまで、どのようにして仕上げるのか」という問題意識が持たれる。私は本学に着任してから12年に渡り、課外活動において達成スポーツの現場で指導をしている。そこでのトレーニングの計画策定にあたっては、「選手の個性」を重視して様々な思考を凝らしている。以下、12年間の指導実践を振り返り、その思考の根拠となる代表的な事例を挙げてみよう。

 

①到達不可能だと思われるような目標の意味

 競技会を間近に控えた時期(試合期)であるのにも関わらず、仕上がり具合から明らかに乖離した目標を掲げる選手がいる。このような場合、一般的には「無謀・無計画な思考」と捉えられるだろう。しかしながら、「一見すると無謀とも思われるような目標が掲げられていても、それによってトレーニングへのモチベーションが保たれている」こともある。この場合、目標と計画は殆ど満足に遂行されないし、時に日替わりで練習内容が変わる。このようなことから、この事例は、「目標と計画」だけに注目すると、極めて「質の悪いトレーニング」と捉えられるかもしれない。しかしながら、試合期のトレーニングを終えてみたら、多かれ少なかれ「達成力の向上」が果たされていることがある(もちろんその反対のケースもある)。

 

②到達可能な目標の意味

 自分の技能を冷静に評価して、競技会までの時間から逆算的に計画を策定し、淡々とトレーニングを進めていく選手がいる。この行動は、非常に計画的である。このような選手の場合、必ずしもしも目標を完全に達成できるわけではなくても、競技会に向けて自身の技能変化を正確に捉えていることが多い。自己管理能力に裏付けられた安定した仕上がり具合で、競技会に臨めるのである。さらにこの行動を次期競技会に向けても行うことで、着実な達成力向上を果たしていくことが期待される。しかしながら、このように計画的にトレーニングを進めてきても、結果として競技会で失敗することがある。スポーツの世界は不確定な出来事に満ち溢れている。指導者としてはその時のフォローが重要だと思っている。

 

③自身の技能に見合わない目標(過小評価)の意味

 本来であればもっと高い目標を掲げられるのにも関わらず、敢えて低いレベルの目標を掲げる選手がいる。試合期のトレーニングは本来的に、選手に多くの負荷が掛かる。競技会に向けての緊張感や不安感に加えて、量・強度的にも高いトレーニング下に置かれることから、このようなケースは「安全・安心して競技会を終える」ことを重視しすぎる際に生じやすい。この場合、試合期に入った途端に「すでにできていること」の安定化・質的向上に時間を費やすことから、一見すると、堅実かつ玄人的な思考に思えるかもしれない。このような思考が上手くトレーニングに反映されて、高度な安定化に至ることができたなら、それは素晴らしい成果といえるだろう。しかしながら、このような目標・計画遂行にあたり、私が最も恐れているのは、「試合期を経て本来的な達成力の向上が果たせないこと」、「当初は予測できなかった事態への遭遇」である。前者に関して、競技会を前にすることで、普段は影を潜めていた向上心が表に出てくることがある。このような場合は、本来的な達成力向上のチャンスとなる。しかしながら、早くから、安定化を志向すると、このようなチャンスを自ら回避してしまうことがある。一方の後者は、トレーニング中の怪我、さらには「わざの狂い」など、スポーツトレーニングの現場は予測不可能な事態に満ち溢れている。これは私自身のトレーニングにおけるかつての失敗経験からの学びによるものであるが、トレーニングにおける目標設定と計画立案には、「向上心を持った遊び幅」が不可欠である。

 

 上述した3事例は、一見すると、それぞれが異なった取り組みであると感じられるだろう。しかしながら、いずれにおいても、指導者としての本質的な思いは「選手自身の達成力向上」(成長)にある。トレーニングの目標・計画を定めることの本来的な意義は、選手の達成力向上である。選手は「上手くなりたい」と思ってトレーニングに励むし、指導者は「上手くさせたい」と思って指導する。そこには「成長」という両者の思いが存在しており、「目標と計画」は、それを実現させるための進路共有手段と考えられる。したがって、「目標と計画」の価値は、その到達度合や進捗状況で評価されるべきではない。「達成力向上に向けて適正に運用されたか」ということがポイントになるだろう。スポーツトレーニングにおける「目標と計画」は、選手の達成力向上(成長)を促す一つの手段なのであり、その運用の仕方も様々なのである。

 

 今日、スポーツトレーニングの場に止まらず、企業や教育現場などの多くのフィールドで「目標と計画」に関する様々なスローガン・評価指標が唱えられている。それらの多く関して私は、「掲げられた目標と計画の到達度合」に過剰な意識が注がれているように感じてならない。「自ら掲げた目標・計画が、予定通り遂行される」というのは、美しいことなのかもしれない。しかしながら、「目標と計画」の到達・進捗具合のみに評価(管理)が集中すると、人は次第に「達成可能な目標」を掲げるようになるだろう。とりわけ、その評価が、「自分が大切にしている事業・組織の盛衰を左右するほどの影響力」を持っているなら、尚更である。これが常態化すると、仮に目標への到達度100%という結果が生じたとしても、「本来的な成長」としてはマイナスという事態が起こりかねない。このような事態に陥ると一体、何のための「目標と計画」なのか分からなくなる。

 以上、スポーツトレーニングの指導現場において選手と共に過ごした時間から得られた知見から、「目標と計画」の在りかたについて考えてみた。これは私だけの疑問なのだろうか?

 

スポーツ・健康科学教育研究センター/全学共通教育センター 吉本 忠弘

 

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