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2025/07/11
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【プレスリリース】世界初!線虫(C. elegans)の体内構造と脂質分子分布を対応づける 質量分析イメージング手法を開発

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◆発表のポイント


・線虫の内部構造を保ったまま、脂質の三次元分布を可視化する質量分析法を確立しました。
・10 µmの連続切片と画像位置合わせで、器官ごとの脂質分布が明らかになりました。
・質量分子分析と染色法を併用して、線虫体内での脂質分布を相互から確認することに成功しました。
・脂質代謝や老化研究への応用が期待され、創薬や疾患評価にも貢献する成果です。

 

 岡山大学学術研究院環境生命自然科学学域(理)の藤原正澄教授と大学院自然科学研究科博士後期課程のサラ・マンディッチ(Sara Mandić)大学院生は、甲南大学の太田茜特任研究准教授、久原篤教授、オランダ・マーストリヒト大学のRon M. A. Heeren教授、Michiel Vandenbosch博士、Bryn Flinder博士の研究グループと共同で、線虫(C. elegans)の体内構造を保持したまま連続切片を取得し、脂質分布を三次元的に可視化する質量分析イメージング手法を開発しました。
 この技術の開発は、単なる分析手法の進歩にとどまらず、脂質代謝※1の空間的理解を飛躍的に高める重要な成果です。線虫は脂質代謝経路やその調節因子が哺乳類と高い類似性を持つことから、肥満や糖尿病、神経変性疾患などのヒト疾患のモデルとしても広く用いられています。本技術を用いることで、これらの疾患に関連する脂質の動態を個体レベルで詳細に追跡することが可能となり、病態の早期診断や創薬に向けた新たなバイオマーカー探索への貢献が期待されます。さらに、脂質に関する基礎研究に加え、薬剤投与による脂質変化の評価や、老化・ストレス・栄養状態の変化による生体反応の解析にも応用が可能です。本研究成果は、モデル生物を用いた分子機能の可視化と定量化に新たな扉を開くものであり、将来的には医療・創薬・環境科学における幅広い応用展開が期待されます。
 この研究成果は、7月9日(日本時間)、「Scientific Reports」に掲載されました。

 

 

■発表内容


<現状>
 線虫:Caenorhabditis elegans (C. elegans) は、発生生物学、神経科学、老化研究、毒性評価など多様な研究分野で広く活用されており、特に脂質代謝のモデルとしても重要な生物です。しかし、従来の質量分析法では、脂質の種類を網羅的に分析することはできても、それらがどの器官や細胞領域に分布しているかという空間的情報を得ることが困難でした。これは、線虫が長さ約1 mm、太さ約70 µmという小型で透明な生物であるがゆえに、切片作製や内部構造の保存が技術的に難しいことが一因でした。特に、咽頭や腸、胚といった器官の構造を保ちながら連続切片を取得する技術が未確立であり、脂質の局在性と機能との関係を調べる上で大きな障壁となっていました。

 

 

<研究成果の内容>
 今回開発した手法では、ポリジメチルシロキサン製のマイクロ流体チップ※2を用いて線虫を直線状に整列させた後、高粘性のゼラチン・カルボキシメチルセルロース混合ゲルに埋め込むことで、内部構造を損なうことなく10 µm厚の連続切片を安定的に取得することに成功しました。得られた切片に対してマトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析イメージング※3を実施したところ、特定の脂質分子が咽頭や胚など特定の器官に局在していることが明らかとなり、脂質代謝の空間的可視化が可能となりました。さらに、Oil Red O染色法※4による中性脂質分布との交差検証を行うことで、MSIによって得られた分布情報の信頼性を裏付けました。取得された連続切片画像は三次元的に再構成可能であり、脂質分布と器官構造との対応を視覚的に示すことができました。

 

 

 

 

図1:(a)線虫切片の光学顕微鏡画像と(b)質量分析イメージング画像。赤青緑の色は、それぞれ異なる分子量の脂質分布を表している。(c)10µm毎の連続切片画像。

 

 

 

 

<社会的な意義>
 本研究で開発された技術は、モデル生物線虫を用いた高空間分解能の脂質代謝解析を可能にし、個体ごとの変動や遺伝子変異、薬剤応答、加齢などによる脂質の動態変化を詳細に評価するための新たなツールとなります。特に、脂質代謝異常は肥満や糖尿病、神経変性疾患などさまざまなヒト疾患と関連があり、そのメカニズムの解明は医学生物学・創薬研究にとって重要な課題です。
 また、質量分析イメージングはこれまで主にマウスなどの動物組織レベルで用いられてきましたが、本研究により微小動物の個体レベルでの三次元解析にも応用できることが示されました。これは、今後、微小生物やオルガノイド、培養細胞集合体などの次世代モデル系にも応用可能であり、ナノ医療や環境毒性評価など、さまざまな分野への波及効果が期待されます。さらに、従来の染色法との組み合わせにより、分子情報と形態情報を統合的に解釈する多重解析の基盤を築くものとして、基礎から応用研究に至る広範な領域での貢献が見込まれます。

 

 

■論文情報


 論 文 名:Method development for correlating lipid molecular information with anatomy in C. elegans
邦題名「線虫C. elegansにおける脂質分子情報と解剖学的構造の相関付け手法の開発」
 掲 載 紙:Scientific Reports
 著  者:Sara Mandic, Bryn Flinders, Michiel Vandenbosch, Akane Ohta, Atsushi Kuhara , Ron M.A. Heeren, and Masazumi Fujiwara
 D O I:10.1038/s41598-025-09577-9
 U R L:https://www.nature.com/articles/s41598-025-09577-9 

 

 

■補足・用語説明


※1 脂質代謝:
脂質代謝とは、体内で脂質(脂肪酸や中性脂肪など)を分解・合成・運搬・貯蔵する一連のしくみ。エネルギー産生や細胞膜の構築、ホルモン合成などに関与し、生命活動に不可欠な代謝経路です。

※2 マイクロ流体チップ:
微細な流路を持つガラスや樹脂製のデバイスで、微量の液体や小さな生物(例:線虫)を操作・観察することができます。化学分析や細胞実験、医療診断などに広く利用されています。

※3 マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析イメージング:
マトリックス支援レーザー脱離イオン化質量分析イメージング(MALDI-MSI)とは、試料にマトリックス(レーザー光によるイオン化を促進する物質)を付加し、レーザー照射で分子をイオン化・検出することで、物質の種類と空間分布を同時に可視化できる分析技術です。

※4 Oil Red O染色法:
中性脂質(中性脂肪など)を赤く染めて可視化する染色法です。主に組織切片や細胞中の脂質の蓄積状態を観察するために使われ、脂質代謝や肥満、老化などの研究に利用されます。

 

 

<詳しい研究内容について>

世界初!線虫(C. elegans)の体内構造と脂質分子分布を対応づける 質量分析イメージング手法を開発

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