
2026年の大相撲一月場所は、千秋楽に12勝3敗で星が並んだ新大関の安青錦と前頭四枚目の熱海富士による優勝決定戦の末に、安青錦がみごと幕内最高優勝を決めました。
もともと、現在につながる大相撲の優勝制度は、1909年に時事新報社が最も優れた成績の個人に対してトロフィーを授与したことから始まりました。これ自体は、新聞読者の関心を煽って販売を促進するために新聞社が始めたものですが、1926年には財団法人化したばかりの日本相撲協会がこの個人優勝制度を採用し、それによって「みるスポーツ」としての大相撲は格段に盛り上がっていきました。
優勝制度が確立する過程で、優勝者を決めるのに不都合な「引き分け」や「預かり」、「休み」といった曖昧な結果は廃止され、1つ1つの取組において明確に勝敗を決めるようになっていきます。こうして相撲は、場所=トーナメントで最も成績の良い個人を決定するというスポーツの要素を取り入れていくことになっていきました。
欧米のスポーツと同様の展開を経て「近代化」してきた相撲ですが、一方では、その伝統性を強調することにも努めてきました。現在の大相撲は江戸時代の勧進相撲にルーツをもつとされています。しかしながら、大相撲で伝統とされている要素のなかには、明治時代すなわち近代以降に「発明」されたものがいくつもあります。
例えば、相撲を日本の「国技」とする表現は、1909年に相撲興行の常設会場として「国技館」が設立されて以降に使われるようになりました。行司の服装として素襖と烏帽子が導入されたのもこの頃です。土俵上の屋根の形を伊勢神宮にならった「神明造」にしたのは1931年のことでした。その伝統性を演出するために、これまで大相撲は様々な発明をしてきたのでした。
こうした「伝統の発明」に限らず、メディアとの関連や「みる/みせる」という点からも、さまざまな創意工夫がなされてきました。1928年に大相撲でもラジオ中継が始まると、全取組を放送時間内に収めるため、立合いまでの「仕切り」(四股を踏み両手をつく儀式)に制限時間が設けられるようになりました。同時に、立合いをわかりやすくするための仕切り線(土俵上の2本の白線)も引かれるようになっています。
戦後の1952年には、土俵上で屋根を支える四本柱が取り除かれ、現在のつり屋根に変更されました。柱があることによって生じる死角をなくし、客席から土俵を見やすくするための工夫です。
さらに1969年にはビデオ判定が導入されました。当時45連勝中だった大鵬(第48代横綱)が、誤審と思われる判定で敗れたことが背景にありました。ちなみにサッカーのビデオ判定導入は2018年であり、大相撲では半世紀も早くビデオ判定を導入していたということになります。おそらく相撲は世界で最も早くビデオ判定を取り入れたスポーツだと思われます。
このように、次々と新たな要素を取り入れてきた大相撲ですが、現在ではSNSでの発信や動画配信などにも力を入れ、ますますファン層を拡大し続けています。本場所は、2024年と2025年の2年連続で6場所全日程の「満員御礼」を記録しました。何度目かのブームを迎えるなか、昨年は34年ぶりの大相撲ロンドン公演が大成功をおさめ、今年はパリ公演も予定されています。
大相撲には、スポーツ文化を考えるためのエッセンスがたくさん詰まっています。大阪で開催される3月場所も楽しみです。
参考
・日本相撲協会公式サイト
・Allen Guttamann and Lee Thompson, Japanese Sports: A History, University of Hawai’i Press, 2001.
(スポーツ・健康科学教育研究センター/全学共通教育センター 星野 映)